水曜日, 5月 04, 2011

20110504_創世45_ルカ18@15-43

■創45:8だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。
★異母兄弟である10人の兄たちの妬みを買って、若くエジプトに売られたヤコブの息子ヨセフ。どれほど悔しさと悲しさのために涙を流したことでしょう。しかしファラオが見た、エジプトの豊作に続く飢饉の夢の解き明かしによって、一夜のうちに宰相に。上の御言葉は飢饉の中でエジプトに食料を買いに来た、自分を売った兄たちに対する言葉です。ヨセフは、どんな中にも、自分の人生の責任を神様と自分以外の者のせいにはしませんでした。これが試みを乗り切る秘訣です。神様は必ずあなたの生涯につじつまを合わせて下さるお方です。あなたは誰かのせいにすることによって、自分の人生を神様以外のものに投げ出してはなりません。

■ルカ18:24イエスは彼を見てこう言われた。「裕福な者が神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。18:25金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」
■天国への道を自分で切り開くこと、人間にはできなくていいんです。だからこそ神様が必要です。人に求められるのは謙遜さです。ひざを屈め、遜って天国行きの十字架の門をくぐらせて頂きましょう。主よ、お金では解決できない問題があるゆえに、遜らざるを得ない時がありますから感謝します。ヒデ

火曜日, 5月 03, 2011

20110503_詩篇5_ルカ17@1-19

■詩5:8主よ。私を待ち伏せている者がおりますから、あなたの義によって私を導いてください。私の前に、あなたの道をまっすぐにしてください。5:9彼らの口には真実がなく、その心には破滅があるのです。彼らののどは、開いた墓で、彼らはその舌でへつらいを言うのです。5:10神よ。彼らを罪に定めてください。彼らがおのれのはかりごとで倒れますように。彼らのはなはだしいそむきのゆえに彼らを追い散らしてください。彼らはあなたに逆らうからです。
★神様は魂の深いところからの感情をあなたが御前に注ぎ出すことをゆるしておられます。どんな感情でもです。しかし報復は主に委ねなければなりません。それは主のなさること。注ぎ出すのです。後は正しい裁きをなさる方に委ねるのです。あなたは縛られてはなりません。

■ルカ17:17そこでイエスは言われた。「十人きよめられたのではないか。九人はどこにいるのか。17:18神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」17:19それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」
■どうやら今日のテーマは赦しです。なぜ赦さなければならないのでしょうか。相手の為ですか。確かにそれも否めません。しかし誰にもましてあなたのためです。神様は神様を畏れるあなたが憎しみに囚われて、祝福を受け取れなくなることに耐えられません。では、理不尽な扱いの中にもあなたを守る一番の秘訣は何ですか。感謝です。苦しければ、苦しい程、悔しければ、悔しい程、主の恵みを数えましょう。そして裁きを神様に委ねるのです。巧妙なサタンの策略の思うつぼに落ちてはなりません。ヒデ

月曜日, 5月 02, 2011

20110502_創世39_ルカ16@1-15

■創世39:2主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。39:3彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。
★「主がヨセフとともにおられたので……」この言葉はまさにヨセフの生涯を表す言葉です。エジプト行きの商隊に兄たちによって売られ、買い取られたパロの廷臣ポティファルの家においても、理不尽な言いがかりのために投獄された獄中においてもです。それゆえに彼は最終的に、一夜のうちに囚人からエジプトの宰相として召し上げられます。「主がヨセフとともにおられた」とは「ヨセフが主と共におることを第一優先とし続けた」と同じ意味です。あなたは新約聖書1ペテロ5:6に「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」とあるのをご存じですか。あなたを陥れようとする悪に屈してはなりません。主と共にあることを選びましょう。

■ルカ16:13「しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」
★何を人生の第一優先として置くか。これは創世記39と同じテーマで、価値観を扱う問題ですね。さて、あなたはどんな価値観を最優先となさるでしょう。祝福のためのその答えはイエス中心にあります。神様ならどうなさるだろう。イエス様ならこの問題にどう向かい、どの様な解決を願い、どんな具体的な行動、愛を示されるだろうか。この世の富はそれを実現するために、あなたを信頼して神様が託されたものです。生かしましょう。ヒデ

日曜日, 5月 01, 2011

20110501_創世37_詩篇7@9-10_ルカ15@1-7

■創世37:6ヨセフは彼らに言った。「どうか私の見たこの夢を聞いてください。37:7見ると、私たちは畑で束をたばねていました。すると突然、私の束が立ち上がり、しかもまっすぐに立っているのです。見ると、あなたがたの束が回りに来て、私の束におじぎをしました。」
★父に溺愛され、兄たちの妬みの対象であったヨセフ。にも関わらず、彼は上の御言葉のとおり、見た夢をそのまま兄たちに分かち合うのでした。悪気はないにしても、なんと人の気持ちの分からない、まだまだ幼いヨセフだことか。結果ヨセフは兄たちの怒りと妬みを買って、殺されはしないものの、エジプトに売られてしまいます。しかし不思議です。神様は夢見る人に将来を託されるのです。さあヨセフの生涯の始まりです。

■詩篇7:9どうか、悪者の悪があとを絶ち、あなたが正しい者を堅く立てられますように。正しい神は、心と思いを調べられます。7:10私の盾は神にあり、神は心の直ぐな人を救われる。
★ダビデの神様に対するこの確信、あなたはなぜ与えられたと思いますか。

■ルカ15:4「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。
★果たしてそうでしょうか。森は心が曲がっていると言われるかも知れませんが、私は全ての羊飼いが、99匹を残して1匹を探しに行くとは思いません。なぜならそこにはリスクがあります。探しに行くとするなら唯一迷った羊の側に立った時。その寂しさ、孤独、不安など。そうです羊飼いはその一匹の羊を気遣い愛していたのです。そして、それがあなたに向けられている主の心です。ヒデ

土曜日, 4月 30, 2011

20110430_ルカ14

■ルカ14:34ですから、塩は良いものですが、もしその塩が塩けをなくしたら、何によってそれに味をつけるのでしょうか。14:35土地にも肥やしにも役立たず、外に投げ捨てられてしまいます。聞く耳のある人は聞きなさい。」
★「聞く耳のある人は聞きなさい」とは一体どういうことでしょう。以下14章の簡単な概略を記します。ご自身で主からお聞き下さいますか。
安息日にイエス様が人を癒やすのを面白く思わない人たちに主は「自分の息子や牛が井戸に落ちたのに、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者があなたがたのうちにいるでしょうか。」と語られ。
招かれた時、上座を求めたくなる人には「なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」と語られ。
最後に、もてなしに対する見返りを求めたい人には「祝宴を催す場合には、むしろ、貧しい者、からだの不自由な者、足のなえた者、盲人たちを招きなさい。その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。義人の復活のときお返しを受けるからです。」と語られます。
さて主の生き様と、語られる言葉に魅力を感じるあなたとしては、今日ここから何を受け取りたいですか。主は「聞く耳のある人は聞きなさい」と語られます。ヒデ

金曜日, 4月 29, 2011

20110429_創世33_ルカ13@10-30

■創世33:3ヤコブ自身は、彼らの先に立って進んだ。彼は、兄に近づくまで、七回も地に伏しておじぎをした。33:4エサウは彼を迎えに走って来て、彼をいだき、首に抱きついて口づけし、ふたりは泣いた。
★一番注目して欲しいのは「ヤコブ自身は、彼らの先に立って」です。21年ぶりの兄エサウとの再会において、神様が彼の腰の骨に触れて下さる前(自我を砕いて下さる前)には自分がいつでも逃げられるように、一番後に身を置くものでした。それが先頭に立つ者、すなわち責任を取る者へと変えられたのです。人は神様を真に畏れるまでは、どうでも良いものにさえ恐れ、果たすべき責任も果たすことが出来ません。すなわち私たちに取っては神様を畏れ、キリストの十字架による自我の砕きを受け入れるとき、本当の意味で自らを守る事のできない物から解放され、十字架によって自らを守り、立ち上がる者とされるのです。あらゆる者から__c19__を守る事ができるものは十字架以外ないことを心に刻みましょう。

■ルカ13:24「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。
■主は安息日に病の霊につかれ、腰を全く曲げることのできない婦人を癒やされました。すると会堂管理者は「安息日以外に人を癒やせ」と憤ります。その時の主の反論が上の言葉です。ここでいう狭い門とは何でしょう。それは「律法主義に陥る者ではなく、愛に生きる者でありなさい」でした。多くの場合、律法主義は内向きの心で、自己肯定のための道具に化かされます。実際の必要に仕えるため、愛することを、心を注ぎ出すことを、すなわち狭き門を通ることを選び取りましょう。ヒデ

木曜日, 4月 28, 2011

20110428_創世30@22-24_ルカ12@1-12・22-48

■創世30:25ラケルがヨセフを産んで後、ヤコブはラバンに言った。「私を去らせ、私の故郷の地へ帰らせてください。
★兄エサウを避けて母親の兄ラバンのもとに身を寄せたヤコブ。彼はそこで、叔父ラバンの娘、レアとラケルをめとります。結局二人の女奴隷も合わせて、そこで彼は12人の子供を儲けたのです。夫を奪い合おうとする婦人たちの妬みによる激しい戦い。その結果ラケルが産んだヨセフはこの後、兄たちの妬みをかってエジブトに売られることに。その時の父ヤコブの悲しみはいかばかりだったでしょう。しかしヤコブはこの時、結婚および夫婦に関することについて、叔父ラバンと二人の妻の言いなりで、夫としての責任を果たそうとはしませんでした。人は必ず蒔いたものを刈り取ります。この朝、家族として自分が果たすべき責任に光が当てられるように祈りませんか。

■ルカ12:47主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。12:48しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。
■あえてルカによる福音書だけに記されている箇所のピックアップです。あなたは主人の気持ちが分かる人ですか。ならばあなたはリーダーです。全ての人があなたと同様に主人の気持ちが分かるわけではありませんし、あえてそうしたことを知りたくないと願う人さえいます。そう思うと、主人の気持ちが分かること自体、大きな祝福であり賜物で、あなたの成熟の印です。主人はそれを喜んでおられます。主人へのその愛を生かして用いましょう。あなたは必ず祝福されます。ヒデ

水曜日, 4月 27, 2011

20110427_創世28@10-22_ルカ11@1-13・33-36

■創世28:15見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」
★兄エサウに命をねらわれる弟ヤコブのために、父イサクは妻リベカの生まれ故郷に身を避けることを促します。その旅の途中ヤコブは夢の中に冒頭の御言葉の語りかけを聞くのです。神の御使いたちがヤコブの傍らで、天まで届くはしごを使って上り下りする。彼は驚くべき光景と約束を示されました。あなたにとってはどうでしょう。目には見えませんが、イエス様からヤコブと同じ約束が与えられています。いえ実はあなたに現われて下さった同じ主イエス様が、かつてヤコブにも現われて下さったのでした。イエス様は御父の傍らにおられた子なる神様。イエス様は約束されたことを必ず実現して下さる神様です。しかも神様の選びと召しは変えられることがありません。安心しましょう。心を広く持ちましょう。与えられている約束に向かって今日も大きな一歩を踏み出しましょう。主が共におられます。

■ルカ11:8あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。
■ルカによる福音書にだけ記されたイエス様のたとえです。来客が来たので夜中に友人のところに行って、パンを貸してくれと頼む人物。彼に対する友の言葉が上の御言葉です。執拗に迫ることを神様は面倒がられるお方でしょうか。いいえ違います。むしろあなたを愛する神様は執拗に求めて欲しいのです。神様はあなたの天の父です。求めましょう。ヒデ

火曜日, 4月 26, 2011

20110426_創世25@19-34_ルカ10@25-42

■創世25:34ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えたので、エサウは食べたり、飲んだりして、立ち去った。こうしてエサウは長子の権利を軽蔑したのである。
★猟から帰ってきたイサクの長男エサウ。見ると弟ヤコブが煮物をつくっているではありませんか。「私にそれを食べさせてもらえないか」とエサウ。「なら兄さん、私にこれで長子の権利を売りなさい。」と弟ヤコブ。その時の兄エサウの言葉は「見てくれ。死にそうなのだ。長子の権利など、今の私に何になろう」でした。ここに霊的祝福の存在に目が開かれていない人の選択が鮮やかです。エサウは軽んじました。しかしあなたはキリストによって神様がお開き下さった霊的祝福に鈍感であってはなりません。祝福には目に見える祝福と、目に見えない霊の祝福があります。しかも、見えるものは一時的であり、見えないものは永遠です。神様を畏れ敬う心で感謝をもって、キリストの十字架の祝福をしっかり受け取りましょう。

■10:37彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」
★これは主イエス様が「良きサマリヤ人のたとえ」を語られたのち、律法の専門家になされたコメントです。神様によって造られた人間は、愛することはしても、しなくてもどちらでもよいものとして造られたのではありません。愛する者、あわれみに生きる者、すなわちご自身に似るものとして造られたのです。今あなたは、愛すべきかどうすべきか、悩んでいることがありますか。愛する道を選び取りましょう。そうすればあなたはその人の隣人となることができます。そしてあなたの生涯は神様によって祝福を受けるでしょう。ヒデ

月曜日, 4月 25, 2011

20110425_創世24@12・26-27_ルカ9@37-62

■創世24:27言った。「私の主人アブラハムの神、主がほめたたえられますように。主は私の主人に対する恵みとまこととをお捨てにならなかった。主はこの私をも途中つつがなく、私の主人の兄弟の家に導かれた。」
★主人アブラハムに信頼され、全財産の管理を委ねられていた年長の僕は、アブラハムからひとり子イサクの嫁探しを命ぜられ、アブラハムの生まれ故郷へと向かいます。そこで自分のためにも、井戸から水をくみ、家畜のためにも走って井戸から水を汲んで飲ませてくれる、アブラハムの親戚の娘リベカに出会います。上の御言葉はその時のアブラハムの僕の喜びの言葉です。人は何を悲しみ、何を憤り、また何を喜ぶかによって、その人が現わされます。アブラハムの僕は主人の命に生き、その事が実現したとき、最高の喜びを表しました。あなたは主からこの世に遣わされた者として、何を喜ぶものでありたいですか。

■ルカ9:62するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」
★これは「主よ。私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついて行きます」と語るある人に、イエス様が語られた言葉です。この世を優先するか、キリストに従うことを優先するか、その選択によって私たちはつくられます。その生涯で、価値あることを成し遂げるためには、どれほど多くの人が決断し、その人生を聖別して一つのことに向かうことでしょう。スポーツ選手しかり、研究者しかり。あなたは何に向かって聖別するものでありたいですか。自然に生きる人生と、価値ある何かを成し遂げるために、あえて聖別する人生の違いについてこの朝、考えてみませんか。ヒデ

日曜日, 4月 24, 2011

20110424_創世21@1-7・21_ルカ8@16-25

■創世21:1主は、約束されたとおり、サラを顧みて、仰せられたとおりに主はサラになさった。21:2サラはみごもり、そして神がアブラハムに言われたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。
★サラが身ごもり子供をもうけたのは「あなたを祝福の基とする」との御声を頂き、アブラム夫妻が旅立った25年後のことでした。神様は新約聖書2テモテ2:13を通して「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」と語らせたまいますが、まさに真実なお方です。知ってください。神様があなたに語って下さったことは必ず、その通りに実現します。しかしそれはあなたにとって一番よい時ではないかもしれません。けれども間違いなく、神様の視点から見てちょうどよい時です。アブラハムを導かれた神様があなたの神様であることを感謝しましょう。

■ルカ8:16あかりをつけてから、それを器で隠したり、寝台の下に置いたりする者はありません。燭台の上に置きます。入って来る人々に、その光が見えるためです。
★ここもそうですが、イエス様は山上の説教の中でも「あなたがたは世の光です」と、信じる者たちを励まして下さいました。どういう意味でしょう。それはキリストの完全な贖いの中にあって、あなたこそが主の臨在をもたらす神殿、キリストの身体なる教会とされましたという意味です。受けた恵みを隠すものではなく、頂いた恵みをもって、人々を潤す者として、この一週も遣わされて行きましょう。ヒデ

土曜日, 4月 23, 2011

20110423_創世19@15-16_詩篇3_ルカ7@1-35

■創世19:15夜が明けるころ、御使いたちはロトを促して言った。「さあ立って、あなたの妻と、ここにいるふたりの娘たちを連れて行きなさい。さもないと、あなたはこの町の咎のために滅ぼし尽くされてしまおう。」19:16しかし彼はためらっていた。すると、その人たちは彼の手と彼の妻の手と、ふたりの娘の手をつかんだ。主の彼に対するあわれみによる。そして彼らを連れ出し、町の外に置いた。
★神様が「さあ」と語られるとき、ためらってはなりません。そこには生死を分ける出来事と、従うものに対する憐れみの御手があるのです。ノアも、モーセとイスラエルの民も、乳呑児イエス様の暗殺をもくろむヘロデの手から逃れたヨセフとマリヤも、主の「さあ」との語りかけに迷うことなく従いました。主語りかけにためらいたくなる何かがあなたにはありますか。もしあれば、この朝それを、まず素直に主の前に告白しましょう。主はあなたの心を変える事のできる力あるお方です。

■詩篇3:4私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答えてくださる。

■ルカ7:13主はその母親を見てかわいそうに思い、「泣かなくてもよい」と言われた。★主とはいかなるお方でしょうか。一言で私たちの目から涙をぬぐって下さるために、いのちを掛けて神様の御心の道を選び取って歩んで下さるお方です。人生に迷ったら迷わずこのお方の御名を呼び求めましょう。このお方に信頼しましょう。このお方に従いましょう。その時あなたの目の涙はこのお方がぬぐって下さり、なくてはならないものをもって、このお方はあなたの人生を満たしてくださいます。ヒデ

金曜日, 4月 22, 2011

20110422_創世15_ルカ6@27-49

■創世15:5そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」15:6彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
★ここに初めて神様が人を正しいとする原則が示されました。敬虔な生活、良き行い、それとも修業生活ですか。いいえ違います。ただ神様のみ力と、ご真実を信じる信仰です。使徒パウロはこのことをローマ人の手紙で「4:19アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。4:20彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、4:21神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。」と記します。あなたは不信のゆえに神様を力なきものとし、不真実なお方としてはなりません。

■ルカ6:49聞いても実行しない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家は一ぺんに倒れてしまい、そのこわれ方はひどいものとなりました。」
★イエス様が山上の説教の結論として語られたのが上の御言葉です。「のろう者を祝福しなさい。さばいてはいけません。与えない。まず自分のめの梁を取りのけなさい……」。さて神様の言葉が私たちに与えられている本質は聞くためですか、それとも生きるためでしょうか。冒頭の御言葉の通りです。神様のみ言葉はそれ自体に力があるので、聞くだけでなく生きようとする時、力が現われること、それを生活の中で体験させて頂きましょう。あなたはアブラハムの子孫です。ヒデ

木曜日, 4月 21, 2011

20110421_創世12_ルカ5@1-11

■創世12:1主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。12:2そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
★神様の友、信仰の父と呼ばれたアブラハムへの、神様の最初の語りかけと、アブラハムの応答です。そしてここに神様からの祝福を受けとる秘訣が。神様への分離と従順がそれです。この後のアブラハムの生涯に過ちや愚かさ弱さがなかった訳ではありません。しかし神様を信頼し従順することを選び取り続けた時、神様が彼の生涯を成熟へと導き、祝福の基と呼ばれるまでにされました。祝福をえるために手放す。この視点ゆえに聞こえてくる神様の御声があなたにはありますか。

■ルカ5:4話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われた。5:5するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」
★シモン・ペテロはこの従順の結果、生涯いまだ経験したことがない程の大漁に与りました。漁師でありガリラヤ湖を知り尽くしたペテロにとって、それは一番得意で誰にも負けない自慢の領域、また譲れない領域でした。彼はそこでキリストが神様であることを経験し、遂に「5:11彼らは、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従った。」とう生涯へと導かれたのです。アブラムとシモンの共通点とは何でしょう。神様によって名前が祝福へと変えられたことと、その原点となる神様への従順です。多くの人は得意分野で「○○の神様」と祭り上げられ、自分が気づけない高慢に知らず知らずの内に侵され祝福を失います。アブラムが始めた道を私たちも選び取らせて頂けた幸いを感謝しましょう。ヒデ

水曜日, 4月 20, 2011

20110420_創世9_ルカ4@14-30

■創世9:6「人の血を流す者は、人によって、血を流される。神は人を神のかたちにお造りになったから。9:7あなたがたは生めよ。ふえよ。地に群がり、地にふえよ。」
★神様は心に計ることがいつも悪へと傾く人の姿を見て、ノアの家族以外は皆滅んでしまう洪水を、実際に起こされました。そして私は洪水によっては二度と人を滅ぼさないと、契約の印として虹を下さいました。その時新たにノアとその子孫に下さったのが冒頭の御言葉です。あなた自身もそうだが、人はみな私が人格を持つ者として、私が霊を吹き入れた者として創造した。ゆえに人の人格を尊びなさいと神様は仰せられます。そして、イエス様は最も大切な二つの戒めの内の一つとして「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」と語られました。あなたは自分の尊厳を認められたいですか。なら同様に人の尊厳を尊ぶ一日を歩ませて頂きましょう。

■ルカ4:22みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。そしてまた、「この人は、ヨセフの子ではないか」と彼らは言った。
★創世記9章と連動していますね。最も大切なことは、神に造られた者として、人としての相手の尊厳を認めることですよと、神様は語られました。しかし人々の現実は、語られる恵みの言葉によってではなく、あいつはヨセフの息子ではないかとイエス様を評価するそれでした。人を人として認められない人間の罪の性質は根深いですね。さて、行き詰まり自ら病むことのないためにもあなたはどんな祈りをささげて一日を始めたいですか。ヒデ

火曜日, 4月 19, 2011

20110419_創世6・7@17-24_ルカ3@21-22

■創世6:14あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外とを木のやにで塗りなさい。
★心に計ることがいつも悪へと傾く人の姿を見ざるを得ない神様のお心とは、どれ程の痛みだったでしょうか。6章は何が神様を悲しませ、何が人を滅ぼすのかが明確です。それは罪です。そのことを聖書ははっきりと「罪の支払う報酬は死である」と語ります。神様はノアに洪水から逃れるように箱舟造を命じられましたが、永遠の滅びから私たちを救って下さるためには、イエス・キリストに命じて十字架の救いを備えて下さいました。そしてそこには、払われたキリストのいのちの代価と、父なる神様への従順があったのです。ただあなたが滅びないためです。

■ルカ3:21さて、民衆がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマをお受けになり、そして祈っておられると、天が開け、3:22聖霊が、鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。また、天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」
★罪に死んで新しいいのちに生きるバプテスマ。キリストは罪のないお方ですが、私たちのために模範を示して下さいました。イエス様が十字架の上で成し遂げて下さった救いの恵みを信じながら、まだバプテスマを受けることに躊躇を覚える人がこの朝いませんか。そうですあなたです。何があなたをバプテスマから遠ざけていますか。今朝そのことを思い切って神様の前に持ち出し、お祈りしてみませんか。イエス様は親しくあなたに近づいて下さいます。ヒデ

月曜日, 4月 18, 2011

20110418_創世3_ルカ2@1-21

■創世3:1さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」
★野の蛇の背後に働いたサタン。アダムとエバはこの言葉を切っ掛けに、着ていた神様への信頼と言う着物を脱がされ、裸とされました。確かに誘惑する存在はもってのほか。しかし罪を犯す責任は自分自身にあります。今あなたは何に誘惑を感じていますか。変わらない神様の言葉と、神様の愛と真実に対する信頼をもって、サタンの誘惑を打ち砕きましょう。

【Q】創世3:24こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。
★これ以降、罪を犯したままで、人が永遠に生きることのないように神様は、エデンの園への道を閉ざされました。ここから、時に私たちの人生において感じる「加えられた制限」について、あなたはどのように理解することが幸いだと思いますか。

■ルカ2:6ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、2:7男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
★人の心に宿るために、神様であることをやめて、人となって来て下さったイエス様。人の心には神様でなければ満たし得ない空間がありますが、なんと感謝でしょう。私たちの内には、この神様のご計画が実現したのです。今日も聖なるこのお方を内に頂いた者として、愛と憐れみと正義の中を歩ませて頂きましょう。ヒデ

日曜日, 4月 17, 2011

20110417_創世01_ルカ01@26-38

震災救援で配信が途絶えざるを得なかったことと、2年間用いたロバート・ロバーツ氏の聖書日課の終了が重なり、どのように再開すべきか、しばらく導きを求めるため、配信を休ませて頂き、祈りの中にありました。
結果これらかの一年間は(ファースト ステップ リーディング プラン)に基づいてディボーションメールの配信をさせて頂くことにしました。事前に連絡を差し上げることのできない、突然の変更となり申し訳ありません。けれども新たに、聖書の真理の基本を押さえることを目的としたこの聖書通読プランに基づき、良き人生の土台作りと、信仰の成熟をめざして取り組んで行きたいと願っています。
なお、いつでも自動配信停止できることではありますが、通読プランの一方的な変更もありますので、登録・解除フォームをここにお伝えさせて頂きます。よろしくご対応お願いします。何にもまして震災視察のためには執り成しのお祈りを有り難うございました。https://nowgetta.com/bm/p/f/tf.php?id=inchristmori

■創世1:31 神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。
★「初めに、神が天と地を創造した。」創世1:1と、聖書は神様のみが存在され、他は何もなかった時があった事を私たちに教えていますが、最後に創造された人、延いてはあなたに命を与え、その命を保つために神様はどれほど心を砕かれたことでしょう。人を造られた神様の結論の言葉は「非常に良かった」です。あなたは計画をもって造られました。偶然、意味なく生を受けたのではありません。あなたは愛されています。それでも今は暗闇の中にいるように感じる方がありますか。夕を与え朝とする神様は、決してあなたを忘れることはありません。さあ、あなたの造り主なる主を仰ぎ一日をはじめましょう。

■ルカ1:38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
★戸惑いながらも主の言葉を受止める乙女マリヤ。この従順と主への信頼こそが信仰の土台であり、成熟の秘訣です。恵まれた女ならぬ神の人であるあなたはどうですか。ヒデ

水曜日, 3月 30, 2011

いつも朝ごとの配信メールをお読み下さっている皆様へ

足らないメッセージですが、継続してお読み下さることを通して、
配信者を励まして下さいますことを感謝します。
早速ですが、本日から4/1まで、東日本大震災で被災なさった方の
元に主のみ身体なる教会の枝の一部として、光栄なことに
救援物資をお届けすことのできるチャンスに預かれることになりました。
急な事でもありますので、メッセージの配信の準備が出来ていません。
あしからずおゆるし下さい。しかし、道中の安全と、現場で少しでも
被災なさった方々のために慰めとして用いられるようにお祈り下さい。
よろしくお願いします。
参りますところは福島県須賀川市堤字四戸内202
堤キリスト教会(東北宣教センター 須賀川シオンの丘)です。
主にある交わりに感謝しつつ。ヒデ

火曜日, 3月 29, 2011

20110329_民数11_箴言7_ルカ21

■民数11:23主はモーセに答えられた。「主の手は短いのだろうか。わたしのことばが実現するかどうかは、今わかる。」
★荒野で肉が食べたいと訴える民。それを備えようと語って下さる主。その結果、主は風をおこし、海の向こうからうずらを運んで来て、宿営の上に落とされました。その量は宿営の回りに、こちら側に約一日の道のり、あちら側にも約一日の道のり、地上に約90センチの高さにもなりました。しかし肉が彼らの歯の間にあってまだかみ終わらないうちに、欲望にかられた民はそこで主に打たれることとなったのです。モーセでさえ、この200万の民の為にはどれほどの牛や羊をほふっても彼らを養うことは困難ですと語りました。けれど神様の方法と人の方法は違ったのです。そしてここに希望があるのです。

■箴言7:1わが子よ。私のことばを守り、私の命令をあなたのうちにたくわえよ。7:2私の命令を守って、生きよ。私のおしえを、あなたのひとみのように守れ。

■ルカ21:25そして、日と月と星には、前兆が現れ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、21:26人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。21:27そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。
★あなたは終末ということばを様々な場所で聞かれる事があるでしょう。しかしその意味をご存知ですか。一言でそれを表すなら聖書は今から2011年前に来られたキリストが再び来られる日と語ります。かつては救いの為。再び来られる時は正しい審判の為にです。しかも主は「天地は滅びますよ。しかし私の言葉は決して滅びることはない」と語られたのです。キリストの正しい審判に望みをおく生き方を普段から積み上げる生き方をする人は幸いです。決してその人は滅びることがありません。ヒデ

月曜日, 3月 28, 2011

20110328_民数10_箴言6_ルカ20

■民数10:29さて、モーセは、彼のしゅうとミデヤン人レウエルの子ホバブに言った。「私たちは、主があなたがたに与えると言われた場所へ出発するところです。私たちといっしょに行きましょう。私たちはあなたをしあわせにします。主がイスラエルにしあわせを約束しておられるからです。」10:30彼はモーセに答えた。「私は行きません。私の生まれ故郷に帰ります。」10:31そこでモーセは言った。「どうか私たちを見捨てないでください。あなたは、私たちが荒野のどこで宿営したらよいかご存じであり、私たちにとって目なのですから。10:32私たちといっしょに行ってくだされば、主が私たちに下さるしあわせを、あなたにもおわかちしたいのです。」
★柔和な人モーセの姿が鮮やかです。祝福を選択するのはその人自身。しかしその為あなたは最大限の努力と愛を惜しんではなりません。

■箴言6:20わが子よ。あなたの父の命令を守れ。あなたの母の教えを捨てるな。6:21それをいつも、あなたの心に結び、あなたの首の回りに結びつけよ。6:22これは、あなたが歩くとき、あなたを導き、あなたが寝るとき、あなたを見守り、あなたが目ざめるとき、あなたに話しかける。

■ルカ20:25すると彼らに言われた。「では、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」
★有名な御言葉です。しかし半分しか理解されていないことが多い言葉です。カイザルには分かります。では「神に」とは何でしょう。当時のデナリ銀貨にはローマ皇帝カイザルの像が刻まれていました。そこでキリストは語られるのです。「あなたは神に造られた『神のかたち』すなわち人格を持つものとして造られたのですよ。だから、あなたに刻みこまれたその『神のかたち』心を神に返しなさい」と。ですから覚えましょう。人が礼拝の生涯を全うすることは極めて自然なことであり尊いことであることを。今週も主への礼拝をささげられるあなたをキリストの御名によって祝福します。ヒデ

日曜日, 3月 27, 2011

20110327_民数8_箴言5_ルカ19

■民数9:23彼らは主の命令によって宿営し、主の命令によって旅立った。彼らはモーセを通して示された主の命令によって、主の戒めを守った。
★上の言葉の意味とは何でしょう。「雲が幕屋の上にとどまっている間、彼らは宿営し、長い間、雲が幕屋の上にとどまるときには、イスラエル人は主の戒めを守って、旅立たず、また雲がわずかの間しか幕屋の上にとどまらないことがあっても、彼らはそこで宿営し、また旅立つ」と、それは約束の地を受け継ぐ者のために主が備えて下さった特別の訓練でした。主への従順が平安の秘訣であり、いのちの保護でした。創造主を認めないこの世は今も変わらない荒野です。あなたはそこでどのように生きるでしょう。

■箴言5:1わが子よ。私の知恵に心を留め、私の英知に耳を傾けよ。5:2これは、分別を守り、あなたのくちびるが知識を保つためだ。

■ルカ19:20もうひとりが来て言った。『ご主人さま。さあ、ここにあなたの一ミナがございます。私はふろしきに包んでしまっておきました。19:21あなたは計算の細かい、きびしい方ですから、恐ろしゅうございました。あなたはお預けにならなかったものをも取り立て、お蒔きにならなかったものをも刈り取る方ですから。』
★取り扱われていない妬みの心には要注意です。人の判断を見誤らせ結果的に自分自身を滅びへと向かわせます。そもそも人と較べ自分の人生の価値をはかろうとしたことが間違いでした。人と較べる必要はないのです。主の御声は常にあなたに対し「あなたは私の目に高価で貴い。わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っている。それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」です。あなたへの主の愛と恵みに信頼しましょう。ヒデ

土曜日, 3月 26, 2011

20110326_民数7_箴言4_ルカ18

■民数7:89モーセは、主と語るために会見の天幕に入ると、あかしの箱の上にある「贖いのふた」の二つのケルビムの間から、彼に語られる御声を聞いた。主は彼に語られた。
★遂に契約の箱を納める幕屋が完成し、イスラエル12部族が示された献げ物を献げ終わったとき、モーセは主の命じられた礼拝と執り成しをするために天幕の中には入りました。さて彼はどこから聞こえる語りかけに耳を傾けたでしょう。「贖いのふたの二つのケルビムの間から語られる主の御声」です。ではあなたはどこから語られる主の御声に耳を傾ければよいのでしょう。それは十字架の上から語られる主の御声です。今日もキリストは「彼らを赦して下さい。全ての罪の代価は払い終わった。私は決してあなたを離れず、あなたを捨てない。世の終わりまで共にいる。あなたは私の前に高価で貴い」と語られます。心の内に主の愛と赦しを受け取りましょう。惑わすもの声にだまされてはなりません。

■箴言4:23力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。

■ルカ18:40イエスは立ち止まって、彼をそばに連れて来るように言いつけられた。18:41彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです」と言った。
★物乞いをしていたこの盲人はイエス様が道をお通りになると知ったとき大声で叫びました。うえ渇きがあったからです。彼にとって目が見えるようになることとは、聞かれても聞かれなくてもどちらでも良いことではなかったのです。あなたにはそうした渇きがあるでしょうか。信頼して主の前に叫びましょう。主の愛に飛び込みましょう。人の目に支配されてはなりません。まず隠れた場所から始めましょう。いいじゃないですか。大声で主の名を叫び、私をあわれんで下さいと涙を流しながら祈っても。ヒデ

金曜日, 3月 25, 2011

20110325_民数6_箴言3_ルカ17

■民数6:23「アロンとその子らに告げて言え。あなたがたはイスラエル人をこのように祝福して言いなさい。6:24『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。6:25主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。6:26主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』6:27彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。」
★主はこのアロンにこの祝福の祈りを通してイスラエルを祝福しなさいと語られました。新約の祭司であるあなたは、この祈りを通してあなたの愛する者を祝福することができます。家族、友人、学校、職場等のために、遣わされた祭司として祝福を祈りましょう。

■箴言3:5心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。3:6あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
★主に寄り頼むのはどこでしょう。限定のない全ての場所です。習慣によってではなく主との交わりと人との出会いを重んじる人生を歩みましょう。

■ルカ17:4かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます』と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」17:5使徒たちは主に言った。「私たちの信仰を増してください。」
★「私たちの信仰をましてください」とは「赦してやりなさい」との主の言葉に、「主よ、そんなことは私たちには不可能です。」との、弟子たちの応答です。そうです。あなたは自分の力で何とか人を赦そうと努力していませんか。赦すとは赦す人が傷つくことです。だから自分では赦せません。主に受けとめて頂き主の愛と理解で覆われることが必要です。出来ませんという前に、主の前に自分の正直な気持ちを告白することから始めましょう。赦しと祝福の道はそこから開かれます。ヒデ

木曜日, 3月 24, 2011

20110324_民数5_箴言2_ルカ16

■民数5:6「イスラエル人に告げよ。男にせよ、女にせよ、主に対して不信の罪を犯し、他人に何か一つでも罪を犯し、自分でその罪を認めたときは、5:7自分の犯した罪を告白しなければならない。その者は罪過のために総額を弁償する。また、それにその五分の一を加えて、当の被害者に支払わなければならない。
★この規準に対しイエス・キリストの愛と赦しに触れたザアカイは「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」と語ります。要は謝罪とは「しなければならないから仕方ない」ではなく「させて頂こう。頂きたい」と、痛めた相手の立場と気持ちに立って、自主的に為すべきものと教えます。その時主は、その関係の中に働き、思わぬ修復、命の通う回復さえ賜物として下さるのです。そのためにはまずあなたが包まれ癒される必要が、赦される必要があるのです。

■箴言2:19彼女のもとへ行く者はだれも帰って来ない。いのちの道に至らない。2:20だから、あなたは良い人々の道に歩み、正しい人々の道を守るがよい。

■ルカ16:10小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。16:11ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。
★不正の富とは一時的なものを、まことの富とは永遠のものを意味します。さて最も大きな富とは何でしょう。それはあなたに与えられた「いのち」。あなたが自由に使うことの出来る「時間」と、これまで、その時間を用いて得ることのできた報酬としての、有形無形の財産です。その富を神様から託されたものとして受け取るのです。その時あなたは小事に忠実なものとして神様から大事を託されるのです。我が思いのままの人生ではなく、託された神様の大事を成し遂げる人生をめざしましょう。ヒデ

水曜日, 3月 23, 2011

20110323_民数4_箴言1_ルカ15

■民数4:19あなたがたは、彼らに次のようにし、彼らが最も聖なるものに近づくときにも、死なずに生きているようにせよ。アロンとその子らが、入って行き、彼らにおのおのの奉仕と、そのになうものとを指定しなければならない。4:20彼らが入って行って、一目でも聖なるものを見て死なないためである。」
★これは主がモーセを通して語られた、契約の箱を納めた幕屋に仕える者への注意です。それは「神を畏れるものでありなさい」です。神様は決して侮るべき方ではありません。またキリストと共に十字架に付けられた犯罪人の一人は「お前が神の子なら自分を救い、この俺様を救って見ろ。お前は神のお気に入りなんだから」と悪態をつきましたが、そうすべきお方ではありません。道のないところにさえ道を開き、あなたの人生を祝福することのできるお方はこのお方を他にしてひとりもないのです。神様を畏れましょう。それが人間の唯一の本分です。

■箴言1:7主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。

■ルカ15:31父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。15:32だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」
★これはキリストが語られた放蕩息子の譬えの最後の部分。父が弟を受け入れられない兄に向かって語った言葉です。兄は弟を受け入れるために何が必要だったのでしょう。それは「私のものは全部お前のものだ」と差し出されている、父の財産の全てを受け取る事です。そもそもそれは、兄息子に対して父から差し出されていたものでした。神様があなたに差し出して下さっている赦しと祝福は、全て受け取るのです。そして心満たして頂くのです。あなたの心は神様の恵みによって満たされ、余裕の心が与えられていますか。「私のものは全部お前のものだ」。受け取りましょう。ヒデ

火曜日, 3月 22, 2011

20110322_民数3_詩篇148-150_ルカ13-14

■民数3:42モーセは主が彼に命じられたとおりに、イスラエル人のうちのすべての初子を登録した。3:43その登録による、名を数えられたすべての一か月以上の男子の初子は、二万二千二百七十三人であった。
★男子の初子の人数が一の位まで数えられていることに注目して下さい。それは神様の「私は、決して一人として我が民を忘れない。ひとりびとり私の前に価値ある存在であり使命がある」とのあつい思いの表れです。イスラエルは約束の地に向かう旅の途中、契約の箱を中心にして各部族ごとに守るべき場所が明らかにされました。さてあなたに主がこの時代託された守るべき場所とはどこでしょう。おぼろげではなく明確に主からそれを受け取ることはあなたを救い、あなたに委ねられたキリストにある共同体を救います。

■詩篇149:3踊りをもって、御名を賛美せよ。タンバリンと立琴をかなでて、主にほめ歌を歌え。149:4主は、ご自分の民を愛し、救いをもって貧しい者を飾られる。

■ルカ14:34ですから、塩は良いものですが、もしその塩が塩けをなくしたら、何によってそれに味をつけるのでしょうか。14:35土地にも肥やしにも役立たず、外に投げ捨てられてしまいます。聞く耳のある人は聞きなさい。」
★キリストの言葉は何とチャレンジに満ちた言葉でしょう。「聞く耳のある人は聞きなさい」とは。しかし「聞く耳を持たない者には私は語っていない」とは読み込みすぎですか。いずれにしても簡単なことではありません。塩が塩としてそこにあっても何かの役割を果たせる訳ではないのです。遜り、自らを溶かして、はじめて他者を生かす本来の目的を成し遂げることが出来るのです。あなたは自分が自分であることをあまりに固執しすぎていませんか。「一粒の麦が地に落ちるならより多くの実を結ぶと」語られたキリストの言葉の意味をキリストご自身から教えられましょう。その時あなたの事業は一時的なものから解き放たれ永遠へと結ばれるのです。ヒデ

月曜日, 3月 21, 2011

20110321_民数2_詩篇145-147_ルカ12

■民数2:2「イスラエル人は、おのおのその旗のもと、その父祖の家の旗じるしのもとに宿営しなければならない。会見の天幕の回りに、距離をおいて宿営しなければならない。
★イスラエル12部族はその部族毎の旗の下に集い旅を続けました。守られるためです。あなたはクリスチャンとしての旗をどこにおいても明確にしていますか。キリストは「いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです」と語られました。自分で自分を守ろうとするのではなく「主よあなたが私の盾となり私を守って下さい」とのスイッチングを済ませることは大切です。

■詩篇147:10神は馬の力を喜ばず、歩兵を好まない。147:11主を恐れる者と御恵みを待ち望む者とを主は好まれる。

■ルカ12:31何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。12:32小さな群れよ。恐れることはない。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。
★主が上のように話される前には「あなたがたのうちのだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。こんな小さなことさえできないで、なぜほかのことまで心配するのですか。ゆりの花のことを考えてみなさい。どうして育つのか。紡ぎもせず、織りもしないのです。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。」と語られました。天地を創られ、花に命を与え、1羽の雀も地に落ちないように支えておられるお方が、主イエス・キリストの父なる神様であることをこの朝覚えましょう。ヒデ

日曜日, 3月 20, 2011

20110320_民数1_詩篇143-144_ルカ11

■民数1:1人々がエジプトの国を出て二年目の第二月の一日に、主はシナイの荒野の会見の天幕でモーセに告げて仰せられた。1:2「イスラエル人の全会衆を、氏族ごとに父祖の家ごとに調べ、すべての男子の名をひとりひとり数えて人口調査をせよ。
★イスラエルの民をエジプトから救いだし、奴隷の生活から彼らを解放しようとした主はここで民の数を数えられます。なぜでしょう。その理由の一つは「あなたは私の前に忘れられた存在ではない。私はあなたを覚えている」とのメッセージを民に示すため。また戦いの中にある荒野の生活で、イスラエルの成人男子に使命を与えるためでした。「あなたは男として家族、氏族を守るために召し出された存在だ」と。適切な使命は人を強くし立たせます。そして目的を失ったアダムに主はかつて「あなたはどこにいるのか」と問われました。あなたはよびとの中に自らを数えますか。それとの御国の福音を生き、戦う神の民の中に自らを数えますか。

■詩篇144:3主よ。人とは何者なのでしょう。あなたがこれを知っておられるとは。人の子とは何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。

■ルカ11:8あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。11:9わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
★謙遜なのか不信仰なのか。萎えた心に伴う諦めなのか、それとも愛する者をもつ心の強さなのか、この箇所は問われます。大切なことは「求めよ」です。主はあなたの「本気度」に励まされるお方、そしてあわれみの御手を動かされるお方です。かつてエレミヤを通して「だれか自分の命をかけてわたしに近づく者があろうか」とも語られました。求めましょう。すがりましょう。その中で主によって強められたあなたを、あなた自身が発見出来ますように。ヒデ

土曜日, 3月 19, 2011

20110319_レビ27_詩篇139-142_ルカ10

■レビ27:2「イスラエル人に告げて言え。ある人があなたの人身評価にしたがって主に特別な誓願を立てる場合には、27:3その評価は、次のとおりにする。二十歳から六十歳までの男なら、その評価は聖所のシェケルで銀五十シェケル。
★イスラエルのために主がシナイ山で語られた最後の教えは、誓願を聖なるものとするようにです。時に人が「神にかけて誓う」あるいは「このことは命をかけてもいい絶対に神にかけて誓う」と言うとき、偽りを誤魔化したり、たとえ誓ったとしても実際は不可能なとき、またそうしたことを誤魔化し無理に押し切ろうとするとき、この言葉を使うことがあります。まさにそれが誓願を汚すことで、あなたは自分の願望の為に神様を利用することになる場合があるのです。だから人の弱さと汚れをご存知のイエス様は誓いではなく「ただ、はいをはい。いいえをいいえとだけにしなさい。」それであなたは十分だとも語られたのです。大切なことは最も聖なるものをあなたは最も汚れたものにすることの出来る自由が与えられていると言うこと。そしてその自由をいかに使うかによって、あなたは形づくられると言うことです。覚えましょう。人の前にではなく誓いは常に神様の前に捧げられるのです。

■詩篇139:23神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。139:24私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。

■ルカ10:36この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」10:37彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」
★「誰が私の隣人ですか」との質問への主の答え。それは「あなたもその人を愛するなら、愛した人の隣人にあなたはなることが出来る」です。愛すること、手を置き祝福すること。はげます事のためにあなたの今日一日が豊かに用いられますように。ヒデ

金曜日, 3月 18, 2011

20110318_レビ26_詩篇137-138_ルカ9

■レビ26:36あなたがたのうちで生き残る者にも、彼らが敵の国にいる間、彼らの心の中におくびょうを送り込む。吹き散らされる木の葉の音にさえ彼らは追い立てられ、剣からのがれる者のように逃げ、追いかける者もいないのに倒れる。26:37追いかける者もいないのに、剣からのがれるように折り重なって、つまずき倒れる。あなたがたは敵の前に立つこともできない。
★臆病が心に満ちて自分自身思うように生きることが出来ない。主がこのようにするとイスラエルの民に語るその原因は何でしょう。それは偶像礼拝と貪欲です。心の王座には自分ではなく主に座って頂き、「わがまま」にではなく、御心を求めて生きようとするのです。その時主が心のバランスを回復して下さり、あなたの霊が強められるのです。「だれも追いかけて来ないのに、あなたがたは逃げる」という刈り取りは偶像礼拝と貪欲の結果であることを知る人は幸いです。

■詩篇138:3私が呼んだその日に、あなたは私に答え、私のたましいに力を与えて強くされました。

■ルカ9:23イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。9:24自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。9:25人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。
★「ヤンキー母校に帰る」の原案を記した義家先生が変わった理由は、交通事故後駆けつけ「義家君、死なないで。あなたは私の夢だから」と語ったくれた先生によってでした。そして主はあなたに語られ、ご自身の命をささげて下さったのです。「あなたの命は全世界よりも大きな大切なもの。損してはならない。父よ私が彼らに代わって罰を受けますから、彼らをおゆるし下さい。」と。あなたはこのお方によって変わることができるのです。ヒデ

木曜日, 3月 17, 2011

20110317_レビ25_詩篇135-136_ルカ8

■レビ25:54たとい、彼がこれらの方法によって買い戻されなかったとしても、ヨベルの年には、彼はその子どもといっしょに出て行くことができる。25:55わたしにとって、イスラエル人はしもべだからである。彼らは、わたしがエジプトの地から連れ出したわたしのしもべである。わたしはあなたがたの神、主である。
★この章に繰り返して出てくる「ヨベルの年」とは何でしょう。それはイスラエルが定めた7年に一度の安息年が7回巡った50年目を意味し、たとえどんな負債を負っていた者も解放が与えられる恵みです。そこに表された主の心は何でしょう。それは約束の地においては主こそが真の支配者であることを具体的に教えるためのものでした。主はあなたの弱さを思いやることの出来ないお方ではありません。感謝してその恵みを受け取りましょう。また、この教えを超えて自らを神とすることが有りませんように。人も、自分も解き放つのです。さあ宣言しましょう。「解き放たれよ」と。そうするあなたを主は幾倍もの恵みをもって祝福して下さいます。

■詩篇136:11主はイスラエルをエジプトの真ん中から連れ出された。その恵みはとこしえまで。

■ルカ8:54しかしイエスは、娘の手を取って、叫んで言われた。「子どもよ。起きなさい。」8:55すると、娘の霊が戻って、娘はただちに起き上がった。それでイエスは、娘に食事をさせるように言いつけられた。
★イエス様は他の人と同様の見方をしないことをここで教えられます。キリストは「泣かなくてもよい。死んだのではない。眠っているのです」と。しかし人々はあざ笑います。あなたはご自分の人生について、どちらを信じますか。もうあなたの人生はどう転んでも虚しい希望のないものですか。いいえ。そうではありません。主はあなたに向かい「我が愛する子よ。起きなさい」と宣言し、あなたを立たせることのできるお方です。騙されないように。この世の知恵に。隣人の声に。あなた自身の内なる声に。主の愛と主権が、あなたをもろもろの縛りからあなたを甦らせ立ち上がらせるのです。さあアーメンと告白しましょう。ヒデ

水曜日, 3月 16, 2011

20110316_レビ24_詩篇131-134_ルカ7

■24:3アロンは会見の天幕の中、あかしの箱の垂れ幕の外側で、夕方から朝まで主の前に絶えず、そのともしびを整えておかなければならない。これは、あなたがたが代々守るべき永遠のおきてである。
★ダビデに王としての油を注いだサムエルは、幼い時すでにこの働きをはじめていました。その中で、あの有名な「サムエルよ。サムエルよ」との御声を聞き、「主よお語り下さい。僕は聞きます」と語ります。「夕方から朝まで」この表現から、暗くなればなるほど、神の人は神様の前に出、祈りを絶やさないでいるべきことが教えられます。あなたは世の光として召し出されています。日野原先生は「命とは自分が自由に使うことのできる時間」と定義します。あなたはその与えられた「命」を何に使いますか。

■詩篇131:1主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません。131:2まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように私の前におります。
★あなたの心は常にあなたの前に留まっていますか。それとも聞こえてくるゴシップや、よそ様の動向等に心を用い、興味本位で深入りし無駄な時間を費やしてはいませんか。ダビデは「私はそうしたことをしない」と心に誓いました。あなたはすでに人との比較という虚しい生き方からキリストによって解き放たれたのです。

■ルカ7:47だから、わたしは『この女の多くの罪は赦されている』と言います。それは彼女がよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。」
★あなたは自分の心をやっと満たすほどの主の赦の愛を受け取ることで満足していませんか。むしろ受け取った主の愛が、あなたの心に留まるだけでなく、溢れ流れるほどに受け取らせて頂きましょう。そして遣わされた所で流しましょう。そうして最高の人生は完成されるのです。ビデ

火曜日, 3月 15, 2011

20110315_レビ23_詩篇128-130_ルカ6

■レビ23:22あなたがたの土地の収穫を刈り入れるとき、あなたは刈るときに、畑の隅まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂も集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。」
★主とはいかなるお方でしょう。あなたはこの箇所から主の本質をどのように表しますか。主はあわれみ深いお方。そのあわれみがあなたに注がれているのです。あなたは決して一人ではないことを覚えましょう。そしてあえて、今日もあなたの心から主を閉め出すことが有りませんように。孤独の道を選び取ることがありませんように。

■詩篇130:3主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、主よ、だれが御前に立ちえましょう。130:4しかし、あなたが赦してくださるからこそあなたは人に恐れられます。
★主はあなたの不義が見えていないのではありません。しかし不義よりむしろあなたの良きところに目を留め評価し、あなたがあなたとして本来の輝きを放てるように赦しの心で関わろうとして下さるのです。あなたの人への関わりはどうですか。

■6:12このころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。6:13夜明けになって、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び、彼らに使徒という名をつけられた。
★12弟子の選定のために主は夜を徹して祈られました。この時すでにご自身を裏切るイスカリオテのユダの存在を知っていたからでしょう。それでも主はユダの存在を切り捨てることはなさいませんでした。たとえどんなことがあっても、あなたとあなたの可能性を信じ祈り続け、関わって下さるお方があることの幸いを覚え、今日も一日歩み出しましょう。ヒデ

月曜日, 3月 14, 2011

20110314_レビ22_詩篇125-127_ルカ5

■レビ22:21また、人が特別の誓願を果たすため、あるいは進んでささげるささげ物として、牛か羊の中から和解のいけにえを主にささげるときは、それが受け入れられるためには傷のないものでなければならない。それにはどのような欠陥もあってはならない。
★余り物だから、不要なものだから、もう役に立たなくなったから、それとも自分は更に新しいものを手に入れたので、いや自分のものはしっかり確保できたので神様にささげるのでしょうか。いいえ神様への献げ物は、まず最初に聖別して、しかも信仰を働かせ、あなたの心としてささげるのです。主はあなたの信仰に応え、有り余る恵みをもって酬い返して下さるお方です。

■詩篇126:5涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。126:6種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。
★物理の法則だけではなく、神様は合わせて霊の法則も天地創造を通して備えられました。愛と命を蒔きましょう。喜びと祝福を刈り取ります。それは何者も変えることが出来ない法則です。

■ルカ5:5するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」
★シモンペテロは主の言葉を聞きました。しかしその言葉に納得が行かず反論し言葉に出しました。しかし自分の思いを語った後、でもおことばですからと主の言葉に従いました。あなたはどうでしょう。自分が正しいと思う間は決して主張をまげませんか。それとも、あえてキリストの言葉のゆえに従いますか。奇蹟を見る生涯とはどちらでしょう。あなた自分の考えたこと以上のことは決して起こらない、むしろそれ以下の出来事の繰り返しの人生を歩みたいですか。それとも主の奇蹟に感動する生涯を歩みたいですか。主はそれを決める自由をあなたに託されました。ヒデ

日曜日, 3月 13, 2011

20110313_レビ21_詩篇120-124_ルカ4

■レビ21:1ついで主はモーセに仰せられた。「アロンの子である祭司たちに言え。彼らに言え。縁者のうちで死んだ者のために、自分の身を汚してはならない。21:2ただし、近親の者、母や父、息子や娘、また兄弟の場合は例外である。
★旧約とキリストによって開かれた新約の決定的違いとは何でしょう。それは死に対する理解です。身を汚さないように旧約は死に関わらないように勧めます。命がないからです。しかしキリストは、病人や死人に手を置き癒し甦らせました。永遠の命に満ちているからです。そして弟子に世の光、地の塩として関わることをキリストは勧めます。あなたも罪の赦しを受け、キリストとの交わりを通し命を受け、人に触れ祝福することが出来ます。恐れなく人とかかわれる祝福、それは決定的に人の生涯を祝福へと解き放ちます。キリストにあってその祝福を受け取りましょう。そして祝福するために、人に手を置く者とさせて頂きましょう。

■詩篇124:2「もしも主が私たちの味方でなかったなら、人々が私たちに逆らって立ち上がったとき、124:3そのとき、彼らは私たちを生きたままのみこんだであろう。
★124:6ほむべきかな。主。主は私たちを彼らの歯のえじきにされなかった。

■ルカ4:42朝になって、イエスは寂しい所に出て行かれた。群衆は、イエスを捜し回って、みもとに来ると、イエスが自分たちから離れて行かないよう引き止めておこうとした。
★朝ごとに父なる神様との交わりを求め父の元へと出て行かれた主。あなたがこうして通読を通して主の前にでようとする背景には、父なる神様の命があなたの中にも流れているからです。喜ばしいことです。感謝しましょう。そしてあなたに向かって特別に語られる細き主の御声に聞きましょう。あなたは主にとって喜びに満ちた誇りの存在です。ヒデ

土曜日, 3月 12, 2011

20110312_レビ20_詩篇119:129-176_ルカ3

■レビ20:6霊媒や口寄せのところにおもむき、彼らを慕って淫行を行う者があれば、わたしはその者から顔をそむけ、その者をその民の間から断つ。20:7あなたがたが自分の身を聖別するなら、あなたがたは聖なる者となる。わたしがあなたがたの神、主であるからだ。
★悲しむべきことですが、クリスチャンとなった後にも今までと変わることなく、霊媒、口寄せ、占いの依存から離れられない人があると耳にします。「天のお父様。確かにあなたは私の存在の父です。しかし、□□の問題、○○の事についてはあなたより、△△の占いの方が頼りになるので、△△の占いを頼ろうと思います」。何と言うことでしょう。淫行、破廉恥な行いでさえ、あまりに自然に行われてしまう現代。それらの倒錯した価値観の中であなたは自分の価値観が汚れに巻き込まれないよう、目覚めなければなりません。偶像礼拝は主の主権を辱める主への冒涜であり、あなたは淫行を犯していることになるのです。悔い改めて断固、霊媒、口寄せ、占いから離れましょう。

■詩篇119:130 みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。
★みことばに心開くこと、それが祝福の秘訣です。

■ルカ3:16ヨハネはみなに答えて言った。「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などは、その方のくつのひもを解く値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。
★バプテスマのヨハネは自分が何者かを知っていました。あなたはどうでしょう。神様の前で自らが何者かを正しく受け取ることはあなたの生涯を祝福へと導く大切な土台です。ヒデ

金曜日, 3月 11, 2011

20110311_レビ19_詩篇119:81-128_ルカ2

■レビ19:9あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂を集めてはならない。19:10またあなたのぶどう畑の実を取り尽くしてはならない。あなたのぶどう畑の落ちた実を集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。
★「私を一体誰だと思っているんだ。」とあなたは言いたくなるときがありますか。そしてどんな時にそう言いたいですか。神様の場合は上の御言葉のように、あわれみを軽んじる場合です。知って下さい。神様の何よりのご性質はあわれみ深さです。そのあわれみによってあなたも救われるのです。だからこそ主は、「あなたもかつてはエジプトの地で在留異国人だった」と諭すのです。あなたの人格の深いところで、あわれみ深さが増し加えられますように。

■詩篇119:119:92もしあなたのみおしえが私の喜びでなかったら、私は自分の悩みの中で滅んでいたでしょう。
★残念です。自分の神学の構築の為に、好みの御言葉だけを選り好みし、結果、癒し主、救い主たる「神なるキリスト」を捨て去って、自らを混沌の中に追いやる人のあることは。自らの救いと癒しのために、みことばの全体を受け取りましょう。その時神様の力はあなたの内に臨むのです。

■ルカ2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
★王宮か神殿でこそ生まれるにふさわしいキリスト。そのお方がなぜに家畜小屋の飼い葉桶に。その答えはこうです。王宮ならば限られた人しか願っても入ることは出来ません。しかし家畜小屋なら、その人自身が遜るなら誰でもキリストを拝するため近づくことが出来るのです。キリストを主なるお方と崇め近づき命に満ち溢れさせて頂きましょう。ヒデ

木曜日, 3月 10, 2011

20110310_レビ17-18_詩篇119:41-80_ルカ1

■レビ18:24あなたがたは、これらのどれによっても、身を汚してはならない。わたしがあなたがたの前から追い出そうとしている国々は、これらのすべてのことによって汚れており、18:25このように、その地も汚れており、それゆえ、わたしはその地の咎を罰するので、その地は、住民を吐き出すことになるからである。
★「これらのすべてのことによって」と記される内容はあり得ないと思われるような汚れた罪ばかりです。しかし実際そうしたことがあるのがこの世です。また、そうしたことを通してどれほど多くの人の心が傷つけられることでしょう。なぜ娘が、父や兄弟によって辱められなければならないのか。その怒りや悲しみをどこに持って行くことができるのか。無理です。そして心も身体も病むのです。そして主はそれを断固ゆるさず、いたんだ心を癒すために招いて下さるお方です。主の元にあって常に安んじましょう。

■詩篇119:71苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。
★なぜ苦しみが幸せなのでしょう。それは「人はその中でこそ、はじめて開かれる神の言葉の真実があるから」と詩篇作者語ります。「イエスは主である」との告白によって、はじめて開かれる解放と祝福を受け取ることの出来る人となりましょう。

■ルカ1:37神にとって不可能なことは一つもありません。」1:38マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
★マリヤはこうして信仰によって主を宿しました。同じくあなたも信仰によって復活のキリストを心の内に主として迎えることが出来るのです。このお方によって強められましょう。あなたの内に生きておられる方は、十字架に付けられましたが死んで甦られた主ご自身です。ヒデ

水曜日, 3月 09, 2011

20110309_レビ16_詩篇119:1-40_2コリント12-13

■レビ16:21アロンは生きているやぎの頭に両手を置き、イスラエル人のすべての咎と、すべてのそむきを、どんな罪であっても、これを全部それの上に告白し、これらをそのやぎの頭の上に置き、係りの者の手でこれを荒野に放つ。16:22そのやぎは、彼らのすべての咎をその上に負って、不毛の地へ行く。彼はそのやぎを荒野に放つ。
★祭司アロンを通して主が民に示された贖いの供え物の意味は何でしょう。それは解放です。二度と、犯した罪、過ちの呵責のゆえに苦しむことがないように。その為の象徴として荒野にやぎが放たれたのです。神様の言葉に近づくとき、大切なことは戒めの中に込められた神様を受け取ること。ですから「天のお父様、聖書に秘められたあなたの愛に触れさせて下さい。」と祈りつつ聖書に親しみましょう。

■詩篇119:9どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。

■2コリント12:9しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。12:10ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
★パウロは自分の弱さについてどうすべきものと語っているでしょう。誇るべきものです。ではあなたはどうでしょう。誇りとしていますか。それとも劣等感や恥ずかしい気持ちが優先し、隠そうとしていますか。パウロはありのままの弱さを受け入れて下さる方を知り、信頼していたのでそのお方によって強められました。あなたはどうでしょう。内向きか外向きか、心の向きは大切です。だからこそ、こだわって主から注がれる愛と命に生きましょう。ヒデ

火曜日, 3月 08, 2011

20110308_レビ15_詩篇117-118_2コリント10-11

■レビ15:32以上が、漏出のある者、また精を漏らして汚れた者、15:33また月のさわりで不浄の女、また男か女で漏出のある者、あるいは汚れている女と寝る男についてのおしえである。
★神様の言葉はこうしたいのちの源となる領域についても、私たちの前に方向性を示します。ご自身の民を愛する神様の前には、覆われた領域はないのです。主はあなたの全てに関心と重荷を持って下さり、癒しのために心傾けて下さるお方です。大切なことは隠すことではなく、このお方を信頼し、いかに心を注ぎ出すかです。

■詩篇118:15喜びと救いの声は、正しい者の幕屋のうちにある。主の右の手は力ある働きをする。118:16主の右の手は高く上げられ、主の右の手は力ある働きをする。118:17私は死ぬことなく、かえって生き、そして主のみわざを語り告げよう。118:18主は私をきびしく懲らしめられた。しかし、私を死に渡されなかった。

■2コリント10:17誇る者は、主を誇りなさい。10:18自分で自分を推薦する人でなく、主に推薦される人こそ、受け入れられる人です。
★自分ができること、自分ができないことに目を向けるのではなく、聖書はあなたのために恵みのみわざをなして下さった主に目を注ぎ、「主を誇りなさい」と語ります。主を誇るために主に目を向ける人は解き放たれます。しかし自分を誇るため、自分に目を向ける人は縛られます。主にこそ信頼される人をめざしましょう。ヒデ

月曜日, 3月 07, 2011

20110307_レビ14_詩篇115-116_2コリント8-9

■レビ14:17祭司はその手のひらにある残りの油をきよめられる者の右の耳たぶと、右手の親指と、右足の親指に、すなわち先の罪過のためのいけにえの血の上に塗る。14:18祭司はその手のひらにある残りの油をきよめられる者の頭に塗り、祭司は主の前で彼のために贖いをする。
★右の耳たぶと、右手の親指と、右足の親指に血が塗られるとは全き献身を表すことの象徴です。そうです。キリストの血によって贖われた者は、本来命の代価で贖って下さったキリストの者、キリストの所有です。この真理を心から受け入れる時、その人の心の中の嵐は静まります。

■詩篇115:4彼らの偶像は銀や金で、人の手のわざである。115:5口があっても語れず、目があっても見えない。115:6耳があっても聞こえず、鼻があってもかげない。115:7手があってもさわれず、足があっても歩けない。のどがあっても声をたてることもできない。115:8これを造る者も、これに信頼する者もみな、これと同じである。115:9イスラエルよ。主に信頼せよ。この方こそ、彼らの助け、また盾である。

■2コリント9:6私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。9:7ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。9:8神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。
★蒔いたものを刈り取ることが不変の真理なら、よき動機のうちに、多くの種を蒔き、祝福を豊かに刈り取るものとさせて頂きましょう。あなたが賢い投資家ならこのお方に投資しない手はありません。本物を見極め、その計画を実行に移す賢い人は誰でしょう。その人はやがての日、間違いなく主から大きな酬いを受けるのです。ヒデ

日曜日, 3月 06, 2011

20110306_レビ12-13_詩篇113-114_2コリント5-7

■レビ12:8しかし、もし彼女が羊を買う余裕がなければ、二羽の山鳩か、二羽の家鳩のひなを取り、一羽は全焼のいけにえとし、もう一羽は罪のためのいけにえとしなさい。祭司は彼女のために贖いをする。彼女はきよめられる。」
★ここから主の律法の目的を受け取りましょう。決して縛るためではありません。真の自由と解放を与えるためです。それは「みなしごの父、やもめのさばき人は聖なる住まいにおられる神」と詩篇に記されるごとく、天の父の心です。

■詩篇113:7主は、弱い者をちりから起こし、貧しい人をあくたから引き上げ、113:8彼らを、君主たちとともに、御民の君主たちとともに、王座に着かせられる。

■2コリント5:14というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。5:15また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
★死んでよみがえった方の為に生きる。クリスチャンとはキリストの愛と神の言葉の真理によって、新しい人生の価値観を頂いて、そこに生きようとする人の別名です。もうあなたの人生観・価値観は変わりましたか。心の底から湧きあがる喜びを体験可能な恵みの中に導かれたことを感謝して、今日も信仰の決断をし、さあ主と共に歩み出しましょう。主があなたと共におられます。ヒデ

土曜日, 3月 05, 2011

20110305_レビ11_詩篇110-112_2コリント3-4

■レビ11:1それから、主はモーセとアロンに告げて仰せられた。11:2「イスラエル人に告げて言え。地上のすべての動物のうちで、あなたがたが食べてもよい生き物は次のとおりである。11:3動物のうちで、ひづめが分かれ、そのひづめが完全に割れているもの、また、反芻するものはすべて、食べてもよい。
★この戒めはキリストが完全な救いを成し遂げられた新約の現代には問われることはありません。しかし、聖なる者でありなさいとの神様のメッセージは不偏です。困難な岩場をも歩け動物のように試練の中にあっても主を仰ぎ、また御言葉を聞いても直ぐに右から左と聞き流す者ではなく、それを心の中であたため、反芻するごとく御言葉を深く味わい、その恵みによって生かされる者でありなさいと神の言葉は語るのです。

■詩篇112:7その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して、その心はゆるがない。112:8その心は堅固で、恐れることなく、自分の敵をものともしないまでになる。

■2コリント3:16しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。3:17主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。3:18私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
★祝福の秘訣は主を仰ぐ主への信仰「しかし、人が主に向くなら」です。まずは受けるのです。そしてただで受けたものを、この世に向かって輝かすのです。それは誰も誇ることがないためです。同じ心でも、心を主に向かわせる外向きの心か、あるいは自分を誇ろうとする内向きの心かでは全く異なる人生となるのです。主を仰ぎ、栄光から栄光へと変えられる人生を進みましょう。ヒデ

金曜日, 3月 04, 2011

20110304_レビ9-10_詩篇108-109_2コリント1-2

■レビ10:1さて、アロンの子ナダブとアビフは、おのおの自分の火皿を取り、その中に火を入れ、その上に香を盛り、主が彼らに命じなかった異なった火を主の前にささげた。10:2すると、主の前から火が出て、彼らを焼き尽くし、彼らは主の前で死んだ。
★レビ記の中でも特別に神様への畏れを抱かせられる箇所です。なぜ彼らは神様の裁きを身に受けたのでしょう。それは大祭司でなければささげることがゆるされていなかった火皿で香をたくことをお互いがしたためでした。神様の前に出て、神様のわざに与るときでさえ、一致の心よりも、お互いをライバル視し、相手よりも勝るものをとの競争心とプライドのゆえに一線を越え、神様への奉仕を自己欲求の実現の手段に変えてしまったのです。主への奉仕は、神の国が天でなされるごとく、この地でもなりますようにと、お互いの賜物と人格の違いを認め合い、互いに一致して進むべきものであることを心に刻みましょう。

■詩篇108:1神よ。私の心はゆるぎません。私は歌い、私のたましいもまた、ほめ歌を歌いましょう。108:2十弦の琴よ、立琴よ。目をさませ。私は暁を呼びさましたい。

■2コリント1:4神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。1:5それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。
★主の弟子パウロは一人で苦しみを抱え込まないようにとこの手紙を通して語ります。「主にあっては、あなたが抱いている苦しみは、やがて多くの人に助けをもたらす希望の光となる」と言うのです。喜びだけでなく、悲しみや痛みも共に分かち合うことを学びましょう。主にある喜びは、分かち合えば豊かに広がります。また主にあって悲しみを分かち合えば、その痛みは取り除かれ、やがて主がご自身の栄光へと変えて下さいます。喜び悲しみを共に主にあって分かち合い、受けとめる心の備えのある人は幸いです。ヒデ

木曜日, 3月 03, 2011

20110303_レビ8_詩篇107_1コリント16

■レビ8:22次に、彼はもう一頭の雄羊、すなわち任職の雄羊を連れ出した。アロンとその子らはその雄羊の頭の上に手を置いた。8:23こうしてそれはほふられた。モーセはその血を取り、それをアロンの右の耳たぶと、右手の親指と、右足の親指に塗った。
★右の耳たぶとは神様のことばを聞くことを、右手の親指とは、神様のみわざを行うことを、右足の親指とは神様の命令に従い行くことを表します。すなわち祭司とは神様と民との仲保者となり、特に神様の御旨に忠実に従う様召し出されたものであることを教えているのです。キリストによる召命と十字架で成し遂げられた贖いによって、あなたも新約の祭司として召し出されました。

■詩篇107:28この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から連れ出された。107:29主があらしを静めると、波はないだ。107:30波がないだので彼らは喜んだ。そして主は、彼らをその望む港に導かれた。

■1コリント16:19アジヤの諸教会がよろしくと言っています。アクラとプリスカ、また彼らの家の教会が主にあって心から、あなたがたによろしくと言っています。16:20すべての兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。聖なる口づけをもって、互いにあいさつをかわしなさい。
★クリスチャンとはどんな人でしょう。主にあるフレンドリーな交わりを喜び、またそれを作り出そうと心傾ける人々です。初代教会の有り様は家々を基本としたあたたかな、互いを支え合うキリストにある共同体でした。彼らは地上にあるもので、いつまでも残るものは神のことは(聖書)とキリストにある関係(教会)であることを受けとめました。この真理を受け取る時、更なるキリスト者としての成熟の道が開かれます。ヒデ

水曜日, 3月 02, 2011

20110302_レビ7_詩篇106_1コリント15

■レビ7:29「イスラエル人に告げて言え。和解のいけにえを主にささげる者は、その和解のいけにえのうちから、そのささげ物を主のところに持って来なければならない。7:30その者は、主への火によるささげ物を、自分で持って来なければならない。すなわち彼は、その脂肪を胸に添えて持って来なければならない。そしてその胸を奉献物として主に向かって揺り動かしなさい。
★和解のいけにえについて聖書は「自分で持って来なければならはない。胸を動かして」と自発の大切さを強調します。神様、自分、人との和解について多くの人はおっくうに思い、後回しにしたり、時の流れに委ねたり、あるいは蓋をしたまま示されることがあっても放置したりします。しかし聖書は自らの意志をもってそこに心を砕くことを教えます。なぜならここから命と祝福は始められるからです。主に励まされ、和解のために心を動かし、決断をもって行動する人は幸いです。

■詩篇106:43主は幾たびとなく彼らを救い出されたが、彼らは相計って、逆らい、自分たちの不義の中におぼれた。106:44それでも彼らの叫びを聞かれたとき、主は彼らの苦しみに目を留められた。106:45主は、彼らのために、ご自分の契約を思い起こし、豊かな恵みゆえに、彼らをあわれまれた。

■1コリント15:19もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。15:20しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
★「聖書の中で最も深く吟味し、受け取る言葉は何ですか」と問われるなら、森はこの御言葉を示します。キリストは甦られたのです。これは嘘でも作り話でもないのです。ならば死さえも打ち破る命と力があなたに臨む時、あなたの人生はどうなることでしょう。あなたはこの事実を既に心を開き、受け入れ、復活のキリストを迎えていらっしゃいますか。ヒデ

火曜日, 3月 01, 2011

20110301_レビ5-6_詩篇105_1コリント14

■レビ6:6この人は主への罪過のためのいけにえを、その評価により、羊の群れから傷のない雄羊一頭を罪過のためのいけにえとして祭司のところに連れて来なければならない。6:7祭司は、主の前で彼のために贖いをする。彼が行って咎を覚えるようになる、どのことについても赦される。」
★聖書は「後で咎を覚えるすべてのことについて赦される」と赦しの道を示します。とが、すなわち良心の呵責は自分一人で抱え込むべきものでないと諭し、主はご自身の前にでる道を開いて下さっているのです。はばかることなく主の前に出ましょう。そして心に主の平安を受けとりましょう。さらに壊れた関係の修復、回復のために主の助けを求めるものでありましょう。そんなあなたを主は必ず豊かな祝福で覆って下さいます。

■詩篇105:44主は、彼らに国々の地を与えられた。彼らが国々の民の労苦の実を自分の所有とするために。

■1コリント14:17あなたの感謝は結構ですが、他の人の徳を高めることはできません。14:20 兄弟たち。物の考え方において子どもであってはなりません。悪事においては幼子でありなさい。しかし考え方においてはおとなになりなさい。
★ここでは教会において優先されるべきことが明らかです。それは他の人の徳を高めること。教会とは神に召し出された人々の集い、キリストの花嫁の集いです。ヒデ

月曜日, 2月 28, 2011

20110228_レビ3-4_詩篇104_1コリント12-13

■レビ3:1もしそのささげ物が和解のいけにえの場合、牛をささげようとするなら、雄でも雌でも傷のないものを主の前にささげなければならない。3:2その人はささげ物の頭に手を置く。それは会見の天幕の入口の所でほふられる。そして、祭司であるアロンの子らは祭壇の回りにその血を注ぎかけなさい。
★人が、犯した罪のためにあがないのそなえものをささげる原則とは傷のないもの。そしてそのささげものの上に手を置きつつ、罪を告白したのです。それはまさに私たちの罪の身代わりとなって十字架の上で命を捨てて下さったイエス・キリストの予表です。告白し、ほふられる小羊の上に罪を転嫁しつつ、神様の赦しを求めたのです。汚れたものは他者の何かを担うどころか、自分の汚れのために代価が求められます。そこに傷のないの意味があります。もう一度あなたのために命を惜しみなく捨てて下さったイエス・キリストの恵みを覚えましょう。

■詩篇104:30あなたが御霊を送られると、彼らは造られます。また、あなたは地の面を新しくされます。

■1コリント13:4愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。13:5礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、13:6不正を喜ばずに真理を喜びます。13:7すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。13:8愛は決して絶えることがありません。
★こんな愛や希望を心にたたえた人があるでしょうか。ひとりもありません。だからこそ仰ぎ、あなたのものではない、上からの主のものを頂くのです。しかし主はここに記された通りの眼差しをもってあなたを見つめ関わって下さるお方でたす。感謝しましょう。ヒデ

日曜日, 2月 27, 2011

20110227_レビ1-2_詩篇103_1コリント11

■レビ1:1主はモーセを呼び寄せ、会見の天幕から彼に告げて仰せられた。1:2「イスラエル人に告げて言え。もし、あなたがたが主にささげ物をささげるときは、だれでも、家畜の中から牛か羊をそのささげ物としてささげなければならない。
★今日からレビ記です。この書はシナイ山に幕屋を張り広げた時からシナイ山を出発するまでの間に主がモーセに示された内容です。要約すると、「罪ある人間が聖い神様に近づくためにはいけにえが必要である」ということで、以下の5つの供え物についての解説がなされます。全焼の、穀物の、和解の、罪のための、罪過のためのいけにえ。しかし主のものとされた私たちは何という感謝でしょう。十字架の上でご自身をささげられたいけにえ、すなわちキリストの血によって、はばかることなく神様に近づける道が開かれたのです。差し控えることなく、ためらうことなくです。あなたはこのめぐみに生きていますか。

■詩篇103:9主は、絶えず争ってはおられない。いつまでも、怒ってはおられない。103:10私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。103:11天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。

■1コリント11:17ところで、聞いていただくことがあります。私はあなたがたをほめません。あなたがたの集まりが益にならないで、かえって害になっているからです。11:18まず第一に、あなたがたが教会の集まりをするとき、あなたがたの間には分裂があると聞いています。ある程度は、それを信じます。11:19というのは、あなたがたの中でほんとうの信者が明らかにされるためには、分派が起こるのもやむをえないからです。
★キリストのみ身体である教会、共同体の中でこそ気づける自分があり、そのことを通して明け渡し、十字架に付け、いのちを注いで頂き、結果キリストに似るものとされる恵みがあることは何と言う感謝でしょう。聖霊もけがれた霊も「関係」の中に働きくことを弁え、神様を畏れて歩めることは幸いです。ヒデ

土曜日, 2月 26, 2011

20110226_出エ39-40_詩篇102_1コリント10

■出エジプト40:36イスラエル人は、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。40:37雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった。40:38イスラエル全家の者は旅路にある間、昼は主の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があるのを、いつも見ていたからである。
★これは出エジプト記最後の記述です。この前には「モーセはその仕事を終えた。そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。」と幕屋完成も伝えます。神様の臨在と共に歩むイスラエルの民、それが奴隷生活を脱出した神の民の姿です。またその生活の規準、それは「神様に対する従順です」。神様の導きよりも先走ることなく、また遅れることなく、イスラエルは主の臨在の中に留まりつつ歩んだのです。天国、神の国とはどこかの場所を指すのではありません。神様の臨在が満ちる所、それが天国、神の国です。その広がりが今日も一日あなたの心から始まり、満ち溢れ、周りに祝福をもたらすものとなりますように。

■詩篇102:12しかし、主よ。あなたはとこしえに御座に着き、あなたの御名は代々に及びます。102:13あなたは立ち上がり、シオンをあわれんでくださいます。今やいつくしみの時です。定めの時が来たからです。

■1コリント10:12ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。10:13あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。10:14ですから、私の愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。
★避けるべきは「何」とパウロは諭すでしょう。偶像礼拝です。あなたの生涯がただ神様のみを崇めるものであり、神様からの酬いで満ち足りるものでありますように。脱出の道を備えて下さる主を仰いで、偶像礼拝の誘惑を打ち砕きましょう。ヒデ

金曜日, 2月 25, 2011

20110225_出エ38_詩篇100-101_1コリント8-9

■出エジプト38:22ユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルは、主がモーセに命じられたことを、ことごとく行った。38:23彼とともに、ダン部族のアヒサマクの子オホリアブがいた。彼は彫刻をし、設計をする者、また青色、紫色、緋色の撚り糸や亜麻布で刺繍をする者であった。
★聖書は幕屋の建設のために「彼とともに」と記します。一人の人の従順ではなく、そこには、心同じくする人があったのです。あなたの従順と献身が求められている箇所はどこでしょう。そこで喜びをもって自らをささげるあなたが、神様の恵みによって光り輝きますように。

■詩篇101:2私は、全き道に心を留めます。いつ、あなたは私のところに来てくださいますか。私は、正しい心で、自分の家の中を歩みます。

■9:22弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。
★キリストの救いを体験し主の弟子となったパウロ。主の恵みを伝え、生きることを通して世界を変えた人物の証しです。当時の最高の学問をもおさめた彼が弱さにも甘んじます。何の為でしょう。愛に生きるためです。彼が心砕いたのは、どれほど多くの人や当時の体制に影響をあたえ、自らの名を歴史に刻もうとする為だったでしょうか。いいえ自らの野心を満たすためでも、名誉を得ようとするためでもなく、幾人かでも私の存在を通して救われる人が起こされて欲しいとの動機です。パウロの心は常に一人の人に向かいます。あなたは一度に多く、全体に影響を与えてと願う願いが叶えられず挫折感を味わってはいませんか。しかし愛は目の前のひとり、ひとつのことにどう関わるかです。そこにこそあなたがどんな人かが表れるのです。勇気と愛を抱き、関われる人をめざしましょう。ヒデ

木曜日, 2月 24, 2011

20110224_出エ37_詩篇96-99_1コリント7

■出エジプト37:7また、槌で打って作った二つの金のケルビムを「贖いのふた」の両端に作った。37:8一つのケルブを一方の端に、他のケルブを他方の端に。ケルビムを「贖いのふた」の一部として、その両端に作った。37:9ケルビムは翼を上のほうに伸べ広げ、その翼で「贖いのふた」をおおい、ケルビムは互いに向かい合い、その顔は「贖いのふた」に向いていた。
★神様の人に対する願いの中心がここに描かれます。神様の御目が注がれる中心は何でしょう。それは贖いであり解放です。アダム以来、罪と死に縛られた人を解き放ちたいのです。にも関わらず人は時に様々な出来事と関係の中で「私なんか……」と死や孤立を選ぶことがあります。しかし闇の力に騙されてはなりません。このお方、主にとってあなたはなくてはならない存在、大切な存在。あなたに代わるスペアーはないのです。あなたは主の贖いと解放の血潮といのちを受けて生きるのです。キリストの御名によって「生きよ!」

■詩篇99:1主は王である。国々の民は恐れおののけ。主は、ケルビムの上の御座に着いておられる。地よ、震えよ。

■1コリント7:19割礼は取るに足らぬこと、無割礼も取るに足らぬことです。重要なのは神の命令を守ることです。
★牧師となった森が心の深くで、長らく苦悩し納得と解放が与えられず、人と比較し心を内向きにさせられていたこと。それは学歴コンプレックスでした。しかし、愛すべき対象が明確になり、人が為すべき重要なことが明確になったとき、以前の思いは消えました。あまりにも大きなテーマ「重要なのは神の命令を守ること。」が与えられたのです。大きすぎます。しかし、愛して下さる主への応答として、生ききれなくても「共に生きることを選び取る」そこに挑戦したいのです。ヒデ

水曜日, 2月 23, 2011

20110223_出エ36_詩篇94-95_1コリント6

■出エジプト36:1ベツァルエルとオホリアブ、および、聖所の奉仕のすべての仕事をすることのできる知恵と英知を主に与えられた、心に知恵のある者はみな、主が命じられたすべてのことを成し遂げなければならない。」
★この主の語りかけに対して、聖書はなんと人々の反応を紹介しているでしょう。「主がせよと命じられた仕事のために、あり余るほどにささげられた十分なものだ」です。あなたはどうでしょう。心が内向きになり、自分とその関係の中に留まってしまいそうな心を覚えることがありませんか。日野原氏は「いのちとは具体的に、今使える時間」と語られます。願わくは与えられた時間とあなたの存在が、この世と共同体の中で世の光として輝きますように。

■詩篇94:14まことに、主は、ご自分の民を見放さず、ご自分のものである民を、お見捨てになりません。

■1コリント6:12すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。私にはすべてのことが許されています。しかし、私はどんなことにも支配されはしません。
★主を信じるものに与えられる自由とは何と豊かな自由でしょう。あなたはその自由をもって神様と人に仕えることができるのです。そして御言葉は「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
6:20あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい」と励まします。ヒデ

火曜日, 2月 22, 2011

20110222_出エ35_詩篇92-93_1コリント4-5

■出エジプト35:29イスラエル人は、男も女もみな、主がモーセを通して、こうせよと命じられたすべての仕事のために、心から進んでささげたのであって、彼らはそれを進んでささげるささげ物として主に持って来た。
★これは幕屋の完成のためにモーセがその必要を訴えたときのイスラエルの民の姿勢です。ここにまず神様に仕える者の基本の姿を教えられます。強いられてするならそれは神様のための奴隷です。しかし主はそれを願っておられません。むしろ愛の為にあなたを創造しあなたの為に人生の計画を描いて下さっているお方は、あなたとのいのちの関係の中に歩みたいと願っておられるのです。あなたはまず主が与えて下さっていることをお気付きですか。人がどうしても生きていく上で必要なものは、すべて主がただで下さっているもの。そしてそれに加えて主はここで、赦しを与えようとしているのです。それを受け取る方法が自発の心。まず感謝をもって主の前に出ることができることは何という恵みでしょう。

■詩篇92:13彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。92:14彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。92:15こうして彼らは、主の正しいことを告げましょう。主は、わが岩。主には不正がありません。

■1コリント5:1あなたがたの間に不品行があるということが言われています。しかもそれは、異邦人の中にもないほどの不品行で、父の妻を妻にしている者がいるとのことです。5:2それなのに、あなたがたは誇り高ぶっています。そればかりか、そのような行いをしている者をあなたがたの中から取り除こうとして悲しむこともなかったのです。
★恐ろしいことです。信仰を隠れ蓑にした牧師が姦淫で逮捕されることさえある時代です。自分の弱さを誤魔化さないで率直に認めましょう。主を仰ぎましょう。そして信仰の友に祈ってもらいましょう。罪から離れ、癒されるためです。ヒデ

月曜日, 2月 21, 2011

20110221_出エ33-34_詩篇90-91_1コリント3

■出エジプト33:14すると主は仰せられた。「わたし自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう。」
★誰も通ったことのない道(紅海の底)を通ってエジプトを脱出したモーセ。そんなモーセであっても、主が示して下さる約束の地に至までにはまだまだ不安材料が。そうした中モーセは神様に「あなたは誰を私と一緒に遣わして下さるのか今だ、お教え下さらないではないですか」と訴えます。その時の答えが上の御言葉です。「私自身が一緒に行く」これほど力強い言葉がどこにあるでしょう。知って下さい。あなたは一人ではないのです。主の命の代価によって買い取られたあなたには主ご自身が伴って下さるのです。主の愛を感謝し受け取りましょう。

■詩篇91:14彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。91:15彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。91:16わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。

■1コリント3:14もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。3:15 もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。3:16あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
★キリストを主と告白した人に与えられる恵みがここでは明確です。それはたとえ火事で持ち物を全部失うと同じような状況だったとしても、永遠の命は必ず守られると言うことです。でも願わくは主の前に立った時、主から賞賛を得ることができるなら、どれほど感謝でしょう。その評価の基準はなんですか。それはいかに愛に、隣人愛に生きたかです。自分の為に使う時間は何の意味もありません。願わくはあなたの人生の目的が神様の愛に対する感謝の応答、貢献と、隣人愛へと的が絞られますように。ヒデ

日曜日, 2月 20, 2011

20110220_出エ31-32_詩篇89_1コリント1-2

■出エジプト32:31そこでモーセは主のところに戻って、申し上げた。「ああ、この民は大きな罪を犯してしまいました。自分たちのために金の神を造ったのです。32:32今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら──。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」
★モーセが民のためにシナイ山に登り神様から十戒を授かっている時、民は何を求めたのでしょう。金の子牛です。「モーセが山に登って早40日になるのに彼が何をしているか分からないのです」と。彼らは戯れるためにアロンに金の子牛を作ることを求めたのです。神様を何か刻んだ像にたとえたり、あるいは偶像を神として礼拝すること、これは恐るべき罪であることを知りましょう。その生涯はやがて混乱と恐れが支配するようになります。
そんな中、モーセは自らの命を懸けて民をとりなします。私たちの主もそうして下さり、実際に十字架の上で命を捨てて下さったのです。あなたの失敗は赦されます。あなたの混沌も解決します。あなたは主に愛されています。ですから偶像礼拝を神様の前に悔い改め、まことの神様の前に立ち帰るのです。

■1コリント1:10さて、兄弟たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。1:11実はあなたがたのことをクロエの家の者から知らされました。兄弟たち。あなたがたの間には争いがあるそうで、1:12あなたがたはめいめいに、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケパに」「私はキリストにつく」と言っているということです。
★主を信じた人の中にさえも根深い所で扱われていない罪の性質が。ですから聖めと癒しが必要です。神の民に求められること、それは自尊心を満足させる優越のために心を内向きに働かせることではなく、むしろひとつになることをめざし、愛のゆえに心が開かれた外向きのものとなるよう、絶えず神様の恵みに投げ出して行くこと。「心の向き」それがその人の人格と永遠を形づくります。ヒデ

土曜日, 2月 19, 2011

20110219_出エ30_詩篇87-88_マルコ15-16

■出エジプト30:7アロンはその上でかおりの高い香をたく。朝ごとにともしびを整えるときに、煙を立ち上らせなければならない。30:8アロンは夕暮れにも、ともしびをともすときに、煙を立ち上らせなければならない。これは、あなたがたの代々にわたる、主の前の常供の香のささげ物である。
★祭司とされたアロンに対して神様は、朝ごとに夕ごとに「香」、すなわち祈りをささげるようにと語られます。キリストの血によって贖い出された私たちも、祭司であり、王であり、神の国の民です。何とあなたは祝福された人でしょう。こうして朝ごとにみことばを受け、神様の前に祈りをささげられるのですから。願わくはその祈りが、あなたが遣わされたその場所に、より多くの平和を作り出すものとして深められますように。

■詩篇88:13しかし、主よ。この私は、あなたに叫んでいます。朝明けに、私の祈りはあなたのところに届きます。

■マルコ16:12その後、彼らのうちのふたりがいなかのほうへ歩いていたおりに、イエスは別の姿でご自分を現された。
★復活の主は落胆する弟子たちに対して、印象深い姿をもって出会われました。ご自身が十字架で贖いを成し遂げられた後、よみがえられたことを示すためです。そうです。キリストは甦られたのです。私たちの罪と病を担い去るために。復活の主は今日、どんな別の姿であなたの前に現れられるでしょう。大切なことは、あなたは孤独ではないと言うことです。たとえあなたが悩みの淵にあろうとも、そこから主に向い、信仰を持ち心を開いて見上げるなら、復活の主が先立ち、あなたを導いて下さると言うことです。どんな闇の力も主を墓の中に留めおくことは出来ないのです。主は甦られました。そしてあなたも必ず主と共に甦るのです。いえ、主があなたの信仰をよろこび、甦らせ立ち上がらせて下さるのです。ヒデ

金曜日, 2月 18, 2011

20110218_出エ29_詩篇85-86_マルコ14

■出エジプト29:43その所でわたしはイスラエル人に会う。そこはわたしの栄光によって聖とされる。29:44わたしは会見の天幕と祭壇を聖別する。またアロンとその子らを聖別して、彼らを祭司としてわたしに仕えさせよう。29:45わたしはイスラエル人の間に住み、彼らの神となろう。29:46彼らは、わたしが彼らの神、主であり、彼らの間に住むために、彼らをエジプトの地から連れ出した者であることを知るようになる。わたしは彼らの神、主である。
★主はイスラエルの間だに住み、彼らの神となるために天幕と祭壇を聖別なさいました。祭壇の角は神様の力を象徴し、その角に塗られる小羊の血は契約、命を象徴します。こうしてイスラエルは罪と赦しを神様の恵みによって明らかにされ、どんな時にもアロンを通して、大胆に神様の赦しを求めて近づく道が開かれたのです。そしてその同じ恵みをキリストが受け継がれ、永遠の大祭司となられたのです。近づきましょう。

■詩篇86:14神よ。高ぶる者どもは私に逆らって立ち、横暴な者の群れは私のいのちを求めます。彼らは、あなたを自分の前に置いていません。

■マルコ14:71しかし、彼はのろいをかけて誓い始め、「私は、あなたがたの話しているその人を知りません」と言った。14:72するとすぐに、鶏が、二度目に鳴いた。そこでペテロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは、わたしを知らないと三度言います」というイエスのおことばを思い出した。それに思い当たったとき、彼は泣き出した。
★人は自分の力で強くなるのではありません。弱さを知らされ、かつそれが赦される時、強くなれるのです。この時ペテロは恐れのために逃げたしました。しかし復活の主から愛を受け取ったペテロは強められ、歴史を変える人となったのです。一人で弱さを抱え込んではなりません。語って下さる主に心を開き、主の愛を受け取り立ち上がりましょう。そしてあなたも歴史をつくる人となるのです。ヒデ

木曜日, 2月 17, 2011

20110217_出エ28_詩篇83-84_マルコ13

■出エジプト28:29アロンが聖所に入るときには、さばきの胸当てにあるイスラエルの子らの名をその胸の上に載せ、絶えず主の前で記念としなければならない。
★主はイスラエルの名をひとつひとつ彫り付けた12の宝石を胸当てに編み込むよう指示します。そしてアロンはその胸当てを肩に担い聖所において主に仕えます。すなわちイスラエル12部族は神様の前に覚えられ、とりなされていたのです。キリストは今、天において父なる神様の前で永遠の大祭司となって、あなたのためにとりなされます。キリストの胸にあなたの名が刻まれているのです。あなたは決してどうでもよい存在ではないのです。神様の前に覚えられ、とりなされているスペアーのない、かけがえのない存在です。人の尊厳を否定しようとするこの世とサタンにだまされてはなりません。

■詩篇84:11まことに、神なる主は太陽です。盾です。主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。84:12万軍の主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は。

■マルコ13:5そこで、イエスは彼らに話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。13:6わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそそれだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。
★キリストが裁き主として再び来られる世の終わり終末の特徴について、主ご自身、幾つかの警鐘を鳴らされます。その中で見逃してはならないもの、それが「人に惑わされないように」です。キリストは人を決して騙しません。しかし人は自らキリスト、救い主になろうとし、人を騙し、支配しようとするのです。騙されてはなりません。あなた自身に対しても同様です。あなたは確かに自分を罪から救う力はありませんが、かといってそれであなたに価値がないわけではない、神様に愛されているかけがえのない存在です。人にだまされてはなりません。キリストの言葉に信頼し、主の愛に生かされましょう。ヒデ

水曜日, 2月 16, 2011

20110216_出エ27_詩篇81-82_マルコ12

■出エジプト27:1祭壇をアカシヤ材で作る。その祭壇は長さ五キュビト、幅五キュビトの四角形でなければならない。高さは三キュビトとする。27:2その四隅の上に角を作る。その角は祭壇の一部でなければならない。青銅をその祭壇にかぶせる。
★幕屋に必要な品々の紹介です。全ての原則は主がモーセにシナイ山で示したとおり。その中でもひときわ上の祭壇は重要です。それは罪の贖いの為には、ほふられた小羊の血をこの祭壇の角にぬり、赦しを求めよと神様が命じられたからです。バプテスマのヨハネはキリストに最初出会った時、何と紹介したでしょう。「見よ。世の罪を取り除く神の小羊」です。そうです。キリストは私たちの罪の身代わりとしてほふられ血を流すために、神のみ位を捨てて人となって来て下さいました。罪のないキリストの血ゆえに全ての罪から私たちをきよめることが出来るのです。

■詩篇81:10わたしが、あなたの神、主である。わたしはあなたをエジプトの地から連れ上った。あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。

■マルコ12:32そこで、この律法学者は、イエスに言った。「先生。そのとおりです。『主は唯一であって、そのほかに、主はない』と言われたのは、まさにそのとおりです。12:33また『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛し、また隣人をあなた自身のように愛する』ことは、どんな全焼のいけにえや供え物よりも、ずっとすぐれています。」12:34イエスは、彼が賢い返事をしたのを見て、言われた。「あなたは神の国から遠くない。」それから後は、だれもイエスにあえて尋ねる者がなかった。
★非常に大切なことが教えられる箇所です。どんな形式的な礼拝式をささげるよりも、具体的な愛を実践することは、それに勝ると主は語られます。形式ではなく命と関係が常に優先する今日一日となりますようにキリストの御名によって祝福します。ヒデ

火曜日, 2月 15, 2011

20110215_出エ26_詩篇79-80_マルコ11

■出エジプト26:1幕屋を十枚の幕で造らなければならない。すなわち、撚り糸で織った亜麻布、青色、紫色、緋色の撚り糸で作り、巧みな細工でそれにケルビムを織り出さなければならない。
★エジプトを脱出し、十戒を受け取って、約束の地をめざして進もうとするイスラエルの為に、神様はご自身がそこに臨在することを象徴する幕屋を作るよう指示します。幕屋には聖所と至聖所が設けられ、神様の臨在の象徴である契約の箱は至聖所に置かれます。神様はそこから語られます。さて十字架に掛かられたイエス様が「すべてが完成した」と息を引き取られたとき、この聖所と至聖所を隔てていた幕が人手によらず上から二つに裂けました。その意味は何でしょう。誰でもはばかることなく神様に近づくことができる。キリストの命によって支払われた代価によって、神様と人との隔たりは取り除かれたとの意味、そればかりかあなたこそが遣わされた地において臨在をもたらす祭司、至聖所とされたという意味です。遣われた所で世の光として輝きましょう。

■マルコ11:2言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない、ろばの子が、つないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて、引いて来なさい。11:3もし、『なぜそんなことをするのか』と言う人があったら、『主がお入用なのです。すぐに、またここに送り返されます』と言いなさい。」
★いよいよエルサレム入場、主が十字架に掛かられる受難週の始まりです。その時主はペテロに上の命令を与えます。主は戦車に乗ってではなくロバの子に乗って、平和の君として都に入場されるお方です。主はあなたにも語られていますか「それをほどいて」と。あなたはキリストによって召し出され、キリストによって用いられる主の誇りの存在です。経験がありませか。力が足りませんか。問題ありません。主があなたを愛し、あなたと共におられます。自分で自分を縛ってはなりません。主の恵みによって自らを解き放ち、今日も主が語られるままに御心をなしましょう。ヒデ

月曜日, 2月 14, 2011

20110214_出エ24-25_詩篇78_マルコ10

■出エジプト25:22 わたしはそこであなたと会見し、その『贖いのふた』の上から、すなわちあかしの箱の上の二つのケルビムの間から、イスラエル人について、あなたに命じることをことごとくあなたに語ろう。
★シナイ山でモーセが民の為に授かった、十戒の石の板を入れる契約の箱に関する記述です。神様はその箱の上に、ケルビムに見守られるように配置される贖いのふたを設けよと語られます。なぜでしょう。神様がそこから赦しのメッセージをもって民に語ろうとなさるからです。神様の本質はあわれみと愛であることを覚えましょう。たとえあなた自身の内なる声でも、この贖いの蓋から聞こえる御声以上に優先してはなりません。なぜなら人を生かす赦しは、この贖いの蓋の上から語られる御声以外にないからです。

■詩篇78:39神は、彼らが肉にすぎず、吹き去れば、返って来ない風であることを心に留めてくださった。

■マルコ10:21イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」
★あなたが人生の完成について真摯に考えようとするならば、共に生きる関係について、決して無視することは出来ないとキリストは語られます。それらのことは小さいときから全部守っていますと、たとえ全ての律法を守ったとしても、その動機が内向きで、他者を自分の心に迎えることなく、自分のために、で心が満ちているなら真の満足はないのです。主の愛に信頼し、恐れの壁を取りのぞき、関係の中に生きることを選び取りましょう。その時、永遠のいのちはあなたの中にあるのです。ヒデ

日曜日, 2月 13, 2011

20110213_出エ23_詩篇77_マルコ9

■出エジプト23:27わたしは、わたしへの恐れをあなたの先に遣わし、あなたがそこに入って行く民のすべてをかき乱し、あなたのすべての敵があなたに背を見せるようにしよう。23:28わたしは、また、くまばちをあなたの先に遣わそう。これが、ヒビ人、カナン人、ヘテ人を、あなたの前から追い払おう。23:29しかし、わたしは彼らを一年のうちに、あなたの前から追い払うのではない。土地が荒れ果て、野の獣が増して、あなたを害することのないためである。23:30あなたがふえ広がって、この地を相続地とするようになるまで、わたしは徐々に彼らをあなたの前から追い払おう。
★あまりの約束の成就の遅さに、主はいつになったら救いを見せて下さるのだろうかと不安に陥りそうなことがありますか。熱心に飢え渇き求め続けましょう。しかし、この箇所からあなたへの主の愛の配慮のあることを学びましょう。願いが即座に叶えられることも感謝です。が、主の御手の中に陥れることは更なる恵み、感謝です。

■詩篇77:11私は、主のみわざを思い起こそう。まことに、昔からのあなたの奇しいわざを思い起こそう。77:12私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。77:13神よ。あなたの道は聖です。

■マルコ9:38ヨハネがイエスに言った。「先生。先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、私たちの仲間ではないので、やめさせました。」9:39しかし、イエスは言われた。「やめさせることはありません。わたしの名を唱えて、力あるわざを行いながら、すぐあとで、わたしを悪く言える者はないのです。9:40わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方です。
★キリストはわずかであっても一致点があれば仲間として、と心を動かされます。しかし弟子たちは何とか違いを見つけて、自分たちの正当性、優位性を強調しようと動きます。一緒になる事よりも、自分を誇ることを優先する思い、それが罪の本質です。ヒデ

土曜日, 2月 12, 2011

20110212_出エ22_詩篇75-76_マルコ8

■出エジプト22:21在留異国人を苦しめてはならない。しいたげてはならない。あなたがたも、かつてはエジプトの国で、在留異国人であったからである。22:22すべてのやもめ、またはみなしごを悩ませてはならない。22:23もしあなたが彼らをひどく悩ませ、彼らがわたしに向かって切に叫ぶなら、わたしは必ず彼らの叫びを聞き入れる。22:26もし、隣人の着る物を質に取るようなことをするのなら、日没までにそれを返さなければならない。22:27なぜなら、それは彼のただ一つのおおい、彼の身に着ける着物であるから。彼はほかに何を着て寝ることができよう。彼がわたしに向かって叫ぶとき、わたしはそれを聞き入れる。わたしは情け深いから。
★あなたがあわれみ深く生きる時、主はあなたに対してもあわれみ深いお方。主は語られます。「最も小さい者の一人にしたのは、すなわち私にしたのである。」心に刻みましょう。

■詩篇75:6高く上げることは、東からでもなく、西からでもなく、荒野からでもない。75:7それは、神が、さばく方であり、これを低くし、かれを高く上げられるからだ。
★あおられる競争心に押し流されてはなりません。あなたを高く上げられるのは主です。

■マルコ8:8人々は食べて満腹した。そして余りのパン切れを七つのかごに取り集めた。8:9人々はおよそ四千人であった。それからイエスは、彼らを解散させられた。
★あなたは覚えていらっしゃいますか。主はかつて5つのパンと2匹の魚で5000人の人を養われたことを。主は語られます。「私は選びの民の為に必要があれば、何度でも恵みと不思議を施す」と。あなたもこの神様のあわれみの中に置かれています。確かに厳しい時代です。しかしそれに支配されてはなりません。あくまで心を天に向け、このお方の愛と恵みに心満たされ、今日も一日遣わされて行きましょう。あなたの一日が主の奇蹟に支えられる一日でありますように。ヒデ

金曜日, 2月 11, 2011

20110211_出エ21_詩篇74_マルコ7

■出エジプト21:12人を打って死なせた者は、必ず殺されなければならない。21:13ただし、彼に殺意がなく、神が御手によって事を起こされた場合、わたしはあなたに彼ののがれる場所を指定しよう。
★自分の親を打つ者、人をさらった者、策略をめぐらす者。人を石かこぶしで打つ者、奴隷を打つ者、目、歯、手、足に負傷を負わせた者。家畜が他者の家畜、奴隷、子供を突いて傷付けた場合。井戸の蓋を開けっ放しにして他者を事故に巻き込んだ場合等々。聖書は他者に損害を与えた場合、その償いの必要を明確にし、人が罪を犯す誘惑から免れるようにすると共に、それが故意か、過失かと、償いの規準も明らかにします。日毎にみ言葉に触れることを通し、あなたはどれほど誘惑から守られている事でしょう。聖書の持つ力の偉大さを覚えましょう。

■詩篇74:10神よ。いつまで、仇はそしるのでしょうか。敵は、永久に御名を侮るのでしょうか。74:11なぜ、あなたは御手を、右の御手を、引っ込めておられるのですか。その手をふところから出して彼らを滅ぼし尽くしてください。
★自分の心を主の前に注ぎだし、裁きは主に委ねることの幸いがここに。その人は自らを救います。

■マルコ7:28しかし、女は答えて言った。「主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます。」7:29 そこでイエスは言われた。「そうまで言うのですか。それなら家にお帰りなさい。悪霊はあなたの娘から出て行きました。」
★主に近づく者に、主が願われることは何でしょう。主への信頼、そして諦めないこと。あなたは、主を人と同様に低く評価し、自ら傷つくことを恐れ、早め早めに抱いた期待を諦め、叶えられなかった場合の失望から自分を守ろうとしていませんか。主は命を懸けて近づく者に必ず応えて下さるお方です。ヒデ

木曜日, 2月 10, 2011

20110210_出エ19-20_詩篇73_マルコ6

■出エジプト20:1それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。20:2「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。
★イスラエルの民のために主がモーセに語られた十戒の箇所です。主は選びの民のために語られるお方。あなたのためにも語って下さいます。目的は何でしょう。モーセは「恐れてはいけません。神が来られたのはあなたがたを試みるためなのです。また、あなたがたに神への恐れが生じて、あなたがたが罪を犯さないためです。」と語ります。直接神様のみ声にあずかることのできる民のそう多くないことを覚え、召し出されたその光栄に生きるのです。

■詩篇73:27それゆえ、見よ。あなたから遠く離れている者は滅びます。あなたはあなたに不誠実な者をみな滅ぼされます。73:28しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。私は、神なる主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。

■マルコ6:21ところが、良い機会が訪れた。ヘロデがその誕生日に、重臣や、千人隊長や、ガリラヤのおもだった人などを招いて、祝宴を設けたとき、6:22ヘロデヤの娘が入って来て、踊りを踊ったので、ヘロデも列席の人々も喜んだ。そこで王は、この少女に、「何でもほしい物を言いなさい。与えよう」と言った。6:24そこで少女は出て行って、「何を願いましょうか」とその母親に言った。すると母親は、「バプテスマのヨハネの首」と言った。
★「良い機会」とは誰にとってよい機会なのか考えなければなりません。愛に生きるのによい機会をのがしてはなりません。しかし人を訴え、滅ぼそうと歩きまわるサタンにとってよき機会を与えてはなりません。最も注意すべきは聖別されていないプライドです。今日も思いもよらない所に引きずられることの無いように、遜ってイエス様と共に立ち上がりましょう。あなたはキリストと共に悪しき業を打ち砕くためにも召し出されたのです。ヒデ

水曜日, 2月 09, 2011

20110209_出エ17-18_詩篇72_マルコ5

■出エジプト18:21あなたはまた、民全体の中から、神を恐れる、力のある人々、不正の利を憎む誠実な人々を見つけ出し、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として、民の上に立てなければなりません。18:22いつもは彼らが民をさばくのです。大きい事件はすべてあなたのところに持って来、小さい事件はみな、彼らがさばかなければなりません。あなたの重荷を軽くしなさい。彼らはあなたとともに重荷をになうのです。
★モーセは200万の民の問題を一手に引き受け疲れ切っていました。自分は「リーダー、逃げる訳には行かない。問題を解決しなければならない」と。しかしそれにも勝るリーダーの大切な働きはビジョンの提示と人を育てること。そうでなければモーセは病み、民には不満が募るのです。あなたはなんでも一人で抱え込んではいませんか。信頼し委ねる心が与えられることは幸いです。

■詩篇72:18ほむべきかな。神、主、イスラエルの神。ただ、主ひとり、奇しいわざを行う。72:19とこしえに、ほむべきかな。その栄光の御名。その栄光は地に満ちわたれ。アーメン。アーメン。

■マルコ5:3この人は墓場に住みついており、もはやだれも、鎖をもってしても、彼をつないでおくことができなかった。5:4彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせも砕いてしまったからで、だれにも彼を押さえるだけの力がなかったのである。5:5それで彼は、夜昼となく、墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていた。
★適切に処置されずじまいの良心の呵責を抱え続けることの怖さを思います。それは人との関係を絶ち、自分を責め、遂には自分自身を傷付け滅ぼすのです。主はそれを承知で彼に近づかれます。二千匹の豚に価値を置くこの世ではなく、一人の人が良心の呵責から解き放たれることに更なる価値を置いて下さる主はあなたの主です。主は語られます。「わたしのもとに来なさい。あなたを休ませてあげよう」と。ヒデ

火曜日, 2月 08, 2011

20110208_出エ16_詩篇70-71_マルコ4

■出エジプト16:3イスラエル人は彼らに言った。「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。」
★モーセと共にエジプトを脱出したイスラエルの民にとって、これから起こることは全て初めての経験です。その中で思うように食料を得ることが出来なくなった時、民の多くはどうしたでしょう。それが上の言葉で、彼らはつぶやいたのです。ここに主体性のない群衆の心があぶり出されます。「させられている。……させられる。」あなたは未経験のことに取り組むときどんな心で取り組むでしょう。リーダーの心でしょうか。群衆の心でしょうか。大切なことは主体性を持ち、可能な部分で責任を負い合おうとする姿勢です。そこで一致がもたらす喜びを人は体験し、成熟へと向かうのです。

■詩篇71:3私の住まいの岩となり、強いとりでとなって、私を救ってください。あなたこそ私の巌、私のとりでです。

■マルコ4:8また、別の種が良い地に落ちた。すると芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」4:9そしてイエスは言われた。「聞く耳のある者は聞きなさい。」
★ここに一つの原則が。種とは自ずと実を結ぶ命を内にたたえたもの。よっていかにその命が自由に動けるようにするかがポイントです。「何を付け加えなければならないのか」ではなく、いかに命の妨げとなっているものを取り除くかの視点です。そして命を覆い隠すものとはなんでしょう。聖書はそれを世の心づかい、富の惑わし、いろいろな欲望と表現します。信じましょう。人と較べなければあなたは既に十分のものを主から受けているのです。なぜならキリストがあなたの内に住んで下さっているのですから。ヒデ

月曜日, 2月 07, 2011

20110207_出エ15_詩篇69_マルコ3

■出エジプト15:23彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、そこはマラと呼ばれた。15:24民はモーセにつぶやいて、「私たちは何を飲んだらよいのですか」と言った。15:25モーセは主に叫んだ。すると、主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。
★水が苦くて飲むことができない。これは出エジプトしたイスラエルの民が経験した最初の試練です。その解決のためモーセが叫んだ時、主は一本の木を水に投げ込みなさいと語られ、結果水は甘くなったのです。これはイエス・キリストの十字架の予表です。神様はあなたが試練に巻き込まれたなら「そこに十字架を投げ込みなさい」と語られます。十字架には罪をきよめ、傷を癒す力がり、それゆえ主は「私は主であってあなたを癒すものである」と語られるのです。

■詩篇69:32心の貧しい人たちは、見て、喜べ。神を尋ね求める者たちよ。あなたがたの心を生かせ。69:33主は、貧しい者に耳を傾け、その捕らわれ人らをさげすみなさらないのだから。

■マルコ3:33すると、イエスは彼らに答えて言われた。「わたしの母とはだれのことですか。また、兄弟たちとはだれのことですか。」3:34そして、自分の回りにすわっている人たちを見回して言われた。「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。3:35神のみこころを行う人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」
★そうです。主に招かれ、それを喜び、そこに生きようとするあなたも既に主の兄弟、姉妹、母なのです。そればかりではありません。あなたは既に主の誇りです。だからこそ託されている生涯と存在を持って神様の栄光をあらわそうではありませんか。ヒデ

日曜日, 2月 06, 2011

20110206_出エジプト13-14_詩篇68_マルコ2

■出エジプト14:13それでモーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。14:14主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」
★エジプト中が長子と言う長子を失い、パロ自身、長子を失ったとき「もうお前たちはエジプトに留まってはならない。出て行け」と語ったものの、心頑なにしたパロは追い出そうとしたイスラエルの後を追って滅ぼそうとします。ところが上の御言葉をモーセが叫んで手を紅海に差し伸ばしたとき、主は一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされたのです。そしてイスラエルは、彼らのために右と左で壁となった海の中を進みます。神様はご自身の選びの民のためには不思議をなさるお方です。何もなかったところから「ことば」一つで世を創られたお方。それが神様です。自分の思いを優先し、神様を小さくしてはなりません。

■詩篇68:5みなしごの父、やもめのさばき人は聖なる住まいにおられる神。68:6神は孤独な者を家に住まわせ、捕らわれ人を導き出して栄えさせられる。しかし、頑迷な者だけは、焦げつく地に住む。

■マルコ2:3そのとき、ひとりの中風の人が四人の人にかつがれて、みもとに連れて来られた。2:4群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。
★人の家の屋根を剥がすなんて。しかしこの時主は何と言われたでしょう。主は彼らの信仰を見て「子よ。あなたの罪は赦されました」と宣言し、更に床をたたんで帰れるほどの健康の回復を中風の男に与えます。主は共同体の祈り、教会の祈りに耳を傾け、みわざをなして下さるお方です。あなたがいつも主にある友として歩めますように。ヒデ

土曜日, 2月 05, 2011

20110205_出エ11-12_詩篇66-67_マルコ1

■出エジプト12:22ヒソプの一束を取って、鉢の中の血に浸し、その鉢の中の血をかもいと二本の門柱につけなさい。朝まで、だれも家の戸口から外に出てはならない。12:23主がエジプトを打つために行き巡られ、かもいと二本の門柱にある血をご覧になれば、主はその戸口を過ぎ越され、滅ぼす者があなたがたの家に入って、打つことがないようにされる。
★主の命によって死の使いがエジプト中の長子と言う長子を打つ為に行き巡りました。しかし、モーセを通して神様が命じられた小羊をほふり、その血をかもいに塗ったイスラエルの家は守られたのです。この出来事を通し、430年のエジプトでの奴隷生活に終止符が打たれます。かもいに塗られた小羊の血とは何を意味するでしょう。それは裁き済です。そしてまさにキリストは、このほふられる小羊として、私たちの罪をご自分の身に負い、十字架の上で打たれ、「この血によって彼らをおゆるし下さい」と、執り成されたのです。あなたの為に命を懸けて下さる方はそんなに多くはないでしょう。しかしそこに、このお方、イエス・キリストの名を加えることを忘れてはなりません。

■マルコ1:29イエスは会堂を出るとすぐに、ヤコブとヨハネを連れて、シモンとアンデレの家に入られた。1:30ところが、シモンのしゅうとめが熱病で床に着いていたので、人々はさっそく彼女のことをイエスに知らせた。1:31イエスは、彼女に近寄り、その手を取って起こされた。すると熱がひき、彼女は彼らをもてなした。
★この直前に主は「わたしについて来なさい」とペテロとアンデレ兄弟に語ります。あなたは主に従うことに困難と恐れを感じますか。しかし主は、従うペテロの姑の熱病を癒して下さるお方。すなわちあなたが抱える問題や困難に解決を下さるお方です。もし御声を聞いたなら、自分の枠の中に留まるのではなく、主の真実と愛に信頼し一歩踏み出すのです。そこに、新たな展開と祝福を主は備えて下さるおかたです。心に満たすのは問題の大きさではありません。主の愛と真実ですよ。ヒデ

金曜日, 2月 04, 2011

20110204_出エジプト10_詩篇64-65_ローマ15-16

■出エジプト10:22モーセが天に向けて手を差し伸ばしたとき、エジプト全土は三日間真っ暗やみとなった。10:23 三日間、だれも互いに見ることも、自分の場所から立つこともできなかった。しかしイスラエル人の住む所には光があった。
★頑ななパロは神様がいなごの大群を送りエジプト中の食料を食い尽くし、エジプト全土を3日間闇で覆い尽くし、エジプトの民と家臣が「もうイスラエルを行かせて下さい」と語っても、なお行かせようとしません。エジプトの3日の闇は、まさにパロの心の暗さを象徴しているかのようです。しかしそうした時にも神様はイスラエルの所には光を注がれたのです。神様を畏れるあなたの為には、主は、どんな時にも光を注いで下さいます。いえ「私は世の光である」と語られたイエス様自身が、あなたの心の内に来て下さって、あなたの心と人生を内側から照らして下さるのです。ですから恐れることはありません。

■詩篇65:2祈りを聞かれる方よ。みもとにすべての肉なる者が参ります。65:3咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。

■ローマ16:5 またその家の教会によろしく伝えてください。私の愛するエパネトによろしく。この人はアジヤでキリストを信じた最初の人です。
★パウロがローマ人への手紙を閉じるにあたっての最後の挨拶の部分です。驚きです。なんとここには17回もパウロ自身がローマの教会の人々に「よろしく」と書きしるしているのです。そしてここから感じて欲しいことは教会の姿です。教会とは会堂ではありません。主を信じるあなた自身です。そして人々は家々に集まり、互いに励まし合い、詩と賛美と霊の詩とによって神様を誉め讃えたのです。関係中心の人生ゆえにパウロの生涯は支えられ、どんな困難なときにも励まされ、満ち足りたのです。いつまでも残るものは神の言葉と関係です。あなたの人生が関係中心に移行できますように。ヒデ

木曜日, 2月 03, 2011

20110203_出エジプト09_詩篇62-63_ローマ13-14

■出エジプト9:34パロは雨と雹と雷がやんだのを見たとき、またも罪を犯し、彼とその家臣たちは強情になった。9:35パロの心はかたくなになり、彼はイスラエル人を行かせなかった。主がモーセを通して言われたとおりである。
★この章の特徴はパロの心の頑なさで「それでも、パロの心は強情で、民を行かせなかった」、「しかし、主はパロの心をかたくなにされ、彼はふたりの言うことを聞き入れなかった。主がモーセに言われたとおりである」と記します。人の心を頑なにする原因とは何でしょう。明け渡したくないものがあるのです。自分がすべての面で王であり続けたいのです。しかしそれは間違いで、明け渡すべきは明け渡し、感謝すべきは感謝し、退く時は退くときに本当の王となれるのです。神の言葉を退ける頑なさは人を孤立させ、滅びに向かわせるものであることを覚えましょう。

■詩篇62:8民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。

■ローマ14:4あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。
■自分を見て、その能力や未熟さに尻込みする人がありますか。しかしあなたは自分で限界を設けたり、「私はダメだ」とのレッテルを貼ってはなりません。またあなたは自分より劣る人を見て「なんで……できないんだ」と裁きの思いに囚われていますか。もしそうなら、あなたは強いコンプレックスに支配されていますね。神様はあなたが弱い信仰に留まることを願われませんが、強い信仰で人を裁くことをも願われません。求めておられる信仰とは成熟した信仰です。それにもまして主はあなたの人生を完成させて下さるお方である事がここでは明確です。「彼は立つようになるのです」このあなたに向けられた主の力強い励ましに、今日も生かされ歩みましょう。ヒデ
20110203_出エジプト09_詩篇62-63_ローマ13-14

■出エジプト9:34パロは雨と雹と雷がやんだのを見たとき、またも罪を犯し、彼とその家臣たちは強情になった。9:35パロの心はかたくなになり、彼はイスラエル人を行かせなかった。主がモーセを通して言われたとおりである。
★この章の特徴はパロの心の頑なさで「それでも、パロの心は強情で、民を行かせなかった」、「しかし、主はパロの心をかたくなにされ、彼はふたりの言うことを聞き入れなかった。主がモーセに言われたとおりである」と記します。人の心を頑なにする原因とは何でしょう。明け渡したくないものがあるのです。自分がすべての面で王であり続けたいのです。しかしそれは間違いで、明け渡すべきは明け渡し、感謝すべきは感謝し、退く時は退くときに本当の王となれるのです。神の言葉を退ける頑なさは人を孤立させ、滅びに向かわせるものであることを覚えましょう。

■詩篇62:8民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。

■ローマ14:4あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。
■自分を見て、その能力や未熟さに尻込みする人がありますか。しかしあなたは自分で限界を設けたり、「私はダメだ」とのレッテルを貼ってはなりません。またあなたは自分より劣る人を見て「なんで……できないんだ」と裁きの思いに囚われていますか。もしそうなら、あなたは強いコンプレックスに支配されていますね。神様はあなたが弱い信仰に留まることを願われませんが、強い信仰で人を裁くことをも願われません。求めておられる信仰とは成熟した信仰です。それにもまして主はあなたの人生を完成させて下さるお方である事がここでは明確です。「彼は立つようになるのです」このあなたに向けられた主の力強い励ましに、今日も生かされ歩みましょう。ヒデ

水曜日, 2月 02, 2011

20110202_出エジプト07-08_詩篇60-61_ローマ12

■出エジプト7:20モーセとアロンは主が命じられたとおりに行った。彼はパロとその家臣の目の前で杖を上げ、ナイルの水を打った。すると、ナイルの水はことごとく血に変わった。7:22しかしエジプトの呪法師たちも彼らの秘術を使って同じことをした。それで、パロの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞こうとはしなかった。主の言われたとおりである。
★「イスラエルを去らせよ」との命に頑ななパロに神様はモーセを通して幾つかの不思議を行います。するとどうでしょう。パロはエジプトの秘術をもって対抗し、更に心を頑なにするのです。言うなれば「そんな事くらい。私にだって出来るわ!」と、まさにそれは神様への挑戦です。しかしやがて同じように出来ない時が来ます。それでもパロは心頑なにし、神様の命に従おうとしないのです。なぜ人であるパロが神様に対抗しようとするのでしょう。聖書はそれを罪と指摘し、神様に向かう不従順を警告します。罪は人を最終的に死と滅びに向かわせることを知り、そこから離れる人は幸いです。

■ローマ12:1そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
■まさにこれこそが平安の生涯の秘訣であり目標です。そして「あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』」に信仰によって立つのです。しかし自分の力で立つのではないですよ。そこに立てない痛み、辛さ悲しみを全て主に知って頂いて、その後、主に任せするんですよ。あなたはもう目の涙を主によってぬぐって頂きましたか。まずそこからです。ヒデ

火曜日, 2月 01, 2011

20110201_出エ05-06_詩篇58-59_ローマ10-11

■出エジプト5:23私がパロのところに行って、あなたの御名によって語ってからこのかた、彼はこの民に害を与えています。それなのにあなたは、あなたの民を少しも救い出そうとはなさいません。」
★主が命じられた通りイスラエルをさらせよとパロに命じたモーセ。しかしパロの反応は「お前たちは怠け者だ。今まで与えていたわらは与えないがレンガを作る数は同じだけ作れ」でした。主の御心に従ったばっかりに状況が返って悪くなったのです。しかし目先のことに捕らわれてはなりません。主はやがて200万の民をモーセと共に導き出すお方です。御心に従おうとする者の周りには、自らの不都合のためそれを留めようとする力が必ず働くことを覚えましょう。しかし「光は闇の中に輝いている。そして闇はこれにうちかたなかった」との御言葉の通り勝利は必ずみここを選び取るあなたの側にあるのです。

■詩篇59:16しかし、この私は、あなたの力を歌います。まことに、朝明けには、あなたの恵みを喜び歌います。それは、私の苦しみの日に、あなたは私のとりで、また、私の逃げ場であられたからです。

■ローマ10:9なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。10:10人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
■神様が恵みによって備えて下さった、人に永遠の命もたらすイエス・キリストの救いを難しくしてはなりません。あまりに高価で尊く値の付けようがないので、ただ感謝しそれを告白して受け取るのです。神であるキリストの命が懸けられたのです。代価を払いきれる訳がありません。にも関わらずその恵みを行いで得ようとするならば、その価値を引き下げることになりませんか。あなたは愛されているのです。ゆえにただ神であるイエス様感謝しますと受け取りましょう。それによって与えられる平安をあなたから奪えるものは何もありません。ヒデ

日曜日, 1月 30, 2011

20110131_出エジプト03-04_詩篇56-57_ローマ09

■出エジプト3:7主は仰せられた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。3:9見よ。今こそ、イスラエル人の叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプトが彼らをしいたげているそのしいたげを見た。3:10今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」
★神様は選びの民の苦しみと苦悩を見、その叫びを聞き、助けを送って下さるお方です。そして主はあなたのためにも「叫びを聞いた」と語られるお方です。この言葉に込められた神様の愛と力強さにこそ望みがあるのです。だからあなたは諦める必要はありません。

■詩篇56:11私は、神に信頼しています。それゆえ、恐れません。人が、私に何をなしえましょう。

■ローマ9:3もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。
★パウロの告白です。彼は他の箇所で「ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました」と語ります。なぜにこんなにも彼は強いのでしょう。いえそうではありません。愛する対象が彼を強くしたのです。あなたは何を愛しますか。ヒデ

土曜日, 1月 29, 2011

20110130_出エジプト01-02_詩篇53-55_ローマ07-08

■出エジプト1:8さて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。
★イスラエルのエジプトにおける430年の苦役の生活の始まりです。パロがイスラエルを酷使した背後には「これ以上イスラエルの民が増えたら支配しきれないかも知れない」との恐れの動機がありました。権威主義に陥った者は、自分の恐れの動機から、往々にして弱い立場にある人を傷付けるものです。支配ではなく共に生きる価値観の尊さを覚えましょう。しかし神様はこうした中にあっても、モーセの誕生を通してイスラエル救出の準備をこの時すでに始めます。今不当な苦しみの中に置かれている人がありますか。知って下さい。たとえあなたはまだ気づいていなくても、具体的な現れはまだ見えなくても、神様を畏れるあなたのためには、神様は救いの道を既に準備して下さっていることを。

■詩篇55:22あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。
★人には負うべき重荷と、負ってはならない重荷があります。ではどうすればよいでしょう。一度全ての重荷を主に委ね、主が負わせて下さる重荷を負うようにするのです。その時あなたは守られます。

■ローマ8:33神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。8:34罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。
★そうです。あなたはこのお方の愛によって強められ、どんな時にも希望を持つ人となり、状況に支配される人ではなく、支配することのできる人となれるのです。この朝も心に主の愛をいっぱいに受け取りましょう。あなたの為にとりなして下さるお方は全能なる神イエス様なのですから。ヒデ

金曜日, 1月 28, 2011

20110129_創世48-50_詩篇51-52_ローマ5-6

■創世記50:19ヨセフは彼らに言った。「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。50:20あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。50:21ですから、もう恐れることはありません。私は、あなたがたや、あなたがたの子どもたちを養いましょう。」こうして彼は彼らを慰め、優しく語りかけた。
★父イスラエル(ヤコブ)が亡くなった後、兄たちの心に恐れの心が入りました。エジプトに弟ヨセフを売った件が原因です。上の言葉はそんな兄たちの気持ちを察したヨセフの言葉です。あなたが意識して人に優しく語りかけたのはいつでしょう。「私が語りかけるこの言葉を用いて、神様この人を癒して下さい」と祈らせて頂きましょう。

■詩篇51:10神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。
★キリストにある救いはあなたの心に何か良いものを付け足すのではありません。神様がご自身の創造の力によって新しくするのです。ポイントは神様があなたの中で自由に働けるよう主権を明け渡すことです。

■ローマ6:10なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。
★ここにはキリストが死なれた理由が明確です。「罪のため」。誰の罪のためでしょう。キリストご自身が犯した罪ですか。いいえ。あなたが、私が犯した罪のためです。キリストが十字架の上で命を捨てられた理由は唯一この理由以外にありません。そしてキリストの流された命の代価によって、神様に対しての全ての罪の代償は払い終わったのです。裁きは終わりました。赦されているのです。もはや恵みの中にあるのです。主は責めることを為さいません。かわりに「私はあなたの罪を思うことをしない」と語られます。受け取りましょう。そして恵みの中を生きるのです。ヒデ

木曜日, 1月 27, 2011

20110128_創世46-47_詩篇50_ローマ3-4

■創世記47:25すると彼らは言った。「あなたさまは私たちを生かしてくださいました。私たちは、あなたのお恵みをいただいてパロの奴隷となりましょう。」
★世界を襲った飢饉の中で食料の管理を委ねられた宰相ヨセフに語った人々の言葉です。彼は飢饉の中で最初銀で、次ぎに飢饉の中で家畜を飼うことは困難なので家畜を代価とし穀物を売り、次ぎに土地と引き替えに、と飢饉をしのぎ、最後に飢饉の終焉を感じたヨセフは「さあ今、ここの種を蒔きなさい。そして収穫の時になったら、その五分の一はパロに納め、五分の四はあなたがたのものとし、畑の種のため、またあなたがたの食糧のため、またあなたがたの家族のため、またあなたがたの幼い子どもたちの食糧としなさい」と語ります。ここにはヨセフの飢饉を利用して私腹を肥やすよりも、いかにこの試練を民とともに切り抜け、弱い立場の者を生かし守ろうとするのかの価値観が明確です。確かにヨセフと共に主がおられます。

■詩篇50:15苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」

■ローマ4:19アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。4:20彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、4:21神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。4:22だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。
★私にはそれが出来なくても神様はそのことをなして下さる力がある。そればかりか神様はこの私も顧み、約束を守って下さるお方である。信仰とは何でしょう。それは自分を見ることを止め、愛と真実と力に富む神様に目を向け、このお方に寄り頼むことです。さてあなたは信仰によって歩んでいるでしょうか。主はあなたと歩むことを心から願い、この朝も待っていて下さるお方ですよ。ヒデ

20110127_創世44-45_詩篇49_ローマ1-2

■創世記45:28イスラエルは言った。「それで十分だ。私の子ヨセフがまだ生きているとは。私は死なないうちに彼に会いに行こう。」
★口語訳では「満足だ」と記します。人生は時に人の妬みをかったり事件に巻き込まれたり予測不可能なことが起こりますが、神様はご自身に信頼する者の生涯を恵みに満たし、あなたに「満足だ」と言わせて下さるお方です。信じましょう。
またここには2度目の再会で、恐れ惑う兄たちに「どうか私に近寄ってください。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。この二年の間、国中にききんがあったが、まだあと五年は耕すことも刈り入れることもないでしょう。それで神は私をあなたがたより先にお遣わしになりました。だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。」と語るヨセフの姿があります。
あなたは赦しに困難を覚えますか。ならば自分の憎く悔しく悲しく苦しい感情を押し殺し隠すことなく神様の前に全て注ぎ出しましょう。そしてその後はヨセフの様に神様の御心に心を向けるのです。その時、神様があなたの赦す心を助けて下さいます。この順番は大切です。ごまかしてはなりません。

■詩篇49:15しかし神は私のたましいをよみの手から買い戻される。神が私を受け入れてくださるからだ。

■ローマ2:16私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって人々の隠れたことをさばかれる日に、行われるのです。
★これは主に対する主の弟子パウロの確信です。しかも神様は偏り見られることなく、ひとりびとり、その行いによって裁かれるお方。だから神様から離れた罪人である私たちの救いのために、神様は救い主キリストをお与え下さいました。まさに恵みです。ただ感謝して受けとる以外、受け取り方がありません。感謝しましょう。ヒデ

火曜日, 1月 25, 2011

20110126_創世42-43_詩篇46-48_マタイ28

■創世記43:14 全能の神がその方に、あなたがたをあわれませてくださるように。そしてもうひとりの兄弟とベニヤミンとをあなたがたに返してくださるように。私も、失うときには、失うのだ。」
★神様の御計画が大きく一歩前進しようとする時です。神様はヤコブの決断を大きく用いられます。この決断の背後には、パロが見た夢の通りの豊作に続く大飢饉の為に、エジプトに先に失った息子ヨセフの弟のみを残し、あとの10人の息子を食料調達のために遣わす父ヤコブの姿があります。そこで何と兄たちはエジプトの宰相となり、食料売買をつかさどる弟ヨセフに出会うのです。かつてエジプト行きの商隊に売られたヨセフは兄たちだと直ぐに気づきます。しかし兄たちは全く気づきません。そればかりか「お前たちはスパイダ」と、宰相となったヨセフに濡れ衣を着せられ、その上、父のもとにいると言った末の弟を連れてこなければ、食料を買うために私の前に立つことはゆるさないと語られたのです。それでエジプトから帰って来た息子達からその報告を受けた父ヤコブは深い苦悩の中に陥ったのです。しかし「失うときには失う」と腹を括って神様に委ねたときに、どんでん返しである、愛する息子ヨセフとの再開が与えられるとは。この後の章からがヤコブとヨセフの生涯のクライマックスです。さて神様は一体どのようにしてヤコブの家族をすくわれるのでしょう。決断し、自らの思いを神様にしっかり申し上げつつも、しかし最終的には神様に明け渡し、神様の愛に信頼しすることの尊さを憶えましょう。神様は人が神様ご自身に委ねられたその領域において不思議をなし、ご自身神であることをそこであらわし、あなたを救いへと導かれます。ヒデ

月曜日, 1月 24, 2011

20110125_創世41_詩篇45_マタイ27

■創世記41:39パロはヨセフに言った。「神がこれらすべてのことをあなたに知らされたのであれば、あなたのように、さとくて知恵のある者はほかにいない。41:40あなたは私の家を治めてくれ。私の民はみな、あなたの命令に従おう。私があなたにまさっているのは王位だけだ。」
★エジプトの王パロが見た夢を神様の霊によって解き明かしたヨセフ。それはエジプトに臨む豊作とその後の激しい飢饉に関するもので、ヨセフはその解決策まで示します。神の霊に満たされることの大切さ、神様の知恵を頂くことの大切さを覚えましょう。その人は一時的に人に忘れられ、苦しみの中を通ることがあっても、決して神様はその人を忘れることがないのです。あなたは人と比較し早く高くならねばと人間的な焦りの中にないですか。信じましょう。神の霊を持つ人を、神様は丁度よい時に高く引き上げ用いて下さり決して忘れることはないのです。

■マタイ27:42「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王だ。今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれは信じるから。
★この様にキリストをあざける祭司長、律法学者、長老たち。しかしキリストが12軍団よりも多くの御使いに命じて十字架から降りたならば、彼らはどうなるのでしょう。ただ彼らは恐れおののき、口を地に付けて伏し拝み、二度と彼らは主の前に顔を上げることができず、キリストの奴隷とならざるを得ないでしょう。知って下さい。キリストは十字架から降りて自らを救うことの出来ない、力ないお方ではないのです。しかし、それをしなかったのは、あなたのため。あなたを救うためでした。いざとなったら、自分を守り、自分を救おうとする人は、結局他者を救うことは出来ません。むしろキリストが十字架から降りれたにも関わらず、そうなさらなかったことに、救いがあることに目を開かれて、この愛の中で今日も一日感謝の歩みを始めましょう。主は決してあなたを離さず、あなたを捨てることはありません。ヒデ

日曜日, 1月 23, 2011

20110124_創世39-40_詩篇44_マタイ26

■創世記40:23ところが献酌官長はヨセフのことを思い出さず、彼のことを忘れてしまった。
★エジプトに売られたヨセフについて一言で表現するなら「主がともにおられたので」です。そして実際、御言葉はそのことを「主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。」(39:2)、「しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。」(39:21)と紹介します。それだからこそサタンは人を用い、ヨセフを誘惑し、ヨセフへの当然の恩を忘却させることを通して、彼を失意のどん底に突き落とそうとするのです。それでもヨセフはかつて見た幻と、どんな時にも常に主がともにいて下さる事実を忘れません。あなたは自分を見るなら落胆します。人を見るなら失望します。だからこそヨセフのように主を見上げて生きるのです。

■マタイ26:74すると彼は、「そんな人は知らない」と言って、のろいをかけて誓い始めた。するとすぐに、鶏が鳴いた。26:75そこでペテロは、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います」とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。
★「あなたがたは私を裏切るでしょう」と主が語ったとき、弟子たちは皆そんなことはありませんと反論を。ペテロはその中でも殊更に「他の弟子たちが裏切っても、私は決して裏切りません」と語り、何とか主の姿を追って大祭司の官邸にまで従います。しかし結末は主の言葉通り、一婦人の語りかけによって「その人を知らない」と否むのです。なぜでしょう。それは、いつでもいざとなったら逃げ出せる距離感、即ち遠すぎたのです。もっと近ければ、否む前に主の眼差しと愛がペテロの心に注がれ、恐れの中にも大胆に告白し立つことができたでしょう。さてあなたと主との距離はどうでしょう。主の心臓の鼓動を主の胸もとで聞くほどに近くおらせて頂きましょう。主は語られます。「私は決してあなたを離れずあなたをすてない」と。ヒデ

20110123_創世38_詩篇41-43_マタイ25

■創世記38:1そのころのことであった。ユダは兄弟たちから離れて下って行き、その名をヒラというアドラム人の近くで天幕を張った。
★ヤコブの12人の息子の一人ユダがどうして父と他の兄弟のもとを離れて住むようになったのかを考えるとき、かつて自らが語った、「弟を殺し、その血を隠したとて、何の益になろう。さあ、ヨセフをイシュマエル人に売ろう。われわれが彼に手をかけてはならない。彼はわれわれの肉親の弟だから。」を抜きに考えられません。ひょっとすると長男ルベン同様、他の兄弟の殺意からヤコブを何とか救いたかった、あるいはほんの出来心で「エジプトに売ろう」と言ったのかものかも知れません。しかしここに罪を犯す恐ろしさを思い知らされます。罪とは人が負い切れるものではないのです。その結果、ユダは自分を責め、父のもとを離れヒラの地へ。では私たちが故意にしろ、ほんの出来心、あるいは不注意であっても罪を犯した場合、どこに行けばよいのでしょう。その答えはキリストです。十字架で「彼らを赦して下さい」と執り成し、「私のもとへ来なさい。休ませてあげよう」と語られたキリストの言葉を掘り下げ、深く受け取りましょう。あなたの前には既に恵みによる赦しが広げられています。

■マタイ25:40すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
★ここにはキリストの愛の深さ広さ長さ高さが鮮やかです。キリストは「最も小さい者にしたのは私にした」と明確に語ります。あなたは隠れた所における愛と施しに勇気を持てませんか。あるいはもっと自由に大胆に愛を現すことのできる人になれたらとの願いをお持ちですか。マザーテレサは「私は渇く」との御言葉と、この箇所の御言葉で、最も弱き人々の中にキリストを見出し、その生涯が変えられました。信じて下さい。キリストの身体、すなわち教会としてあなたが生きようとする時、そこには必ずキリストが共におられ、喜んで下さっていることを。そしてそんなあなたを主は決して、御国に於いても退けなさらないのです。ヒデ

金曜日, 1月 21, 2011

20110122_創世37_詩篇39-40_マタイ24

■創世記37:6ヨセフは彼らに言った。「どうか私の見たこの夢を聞いてください。37:7見ると、私たちは畑で束をたばねていました。すると突然、私の束が立ち上がり、しかもまっすぐに立っているのです。見ると、あなたがたの束が回りに来て、私の束におじぎをしました。」37:8兄たちは彼に言った。「おまえは私たちを治める王になろうとするのか。私たちを支配しようとでも言うのか。」こうして彼らは、夢のことや、ことばのことで、彼をますます憎むようになった。
★ヤコブと12の息子の歴史の始まりです。地中海世界はこの後7年間の大飢饉に見舞われますが、不思議な神様の計画で、エジプトの宰相となったヨセフによって救われます。それにしてもなんと言うことでしょう。兄たちの妬みをかって、17歳の弟ヨセフは兄たちの手で、エジプト行きの隊商に売り渡たされるのです。彼が夢を見たゆえんです。しかし神様は、神様にあって夢見るものに将来を託されるお方です。あなたは神様を偉大な全能者として受け入れ、このお方にあってどんな夢を見るのでしょう。

■詩篇40:7そのとき私は申しました。「今、私はここに来ております。巻き物の書に私のことが書いてあります。40:8わが神。私はみこころを行うことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。」
★これは、子なる神キリストが受肉の前に父なる神様に語った言葉です。神様の御心は、心を神様にあって定めた者によって成し遂げられます。あなたの心はどうでしょう。もう既に、神様の御心をつかみ平安を得ましたか。

■マタイ24:35この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
★あなたは永遠に残るものが何かを知っていますか。神の言葉と教会です。たとえではありません。やがてこの天地も崩れます。ゆえに崩れないものに望みを掛ける人が最終的な勝利者です。神の言葉と教会の交わりの中に歩める豊かさを、もう一度主にあって感謝しましょう。なぜならあなたの永遠は既に主にあって約束されているのですから。ヒデ

木曜日, 1月 20, 2011

20110121_創世36_詩篇38_マタイ23

■創世記36:6エサウは、その妻たち、息子、娘たち、その家のすべての者、その群れとすべての家畜、カナンの地で得た全財産を携え、弟ヤコブから離れてほかの地へ行った。36:7それは、ふたりが共に住むには彼らの持ち物が多すぎて、彼らが滞在していた地は、彼らの群れのために、彼らをささえることができなかったからである。36:8それでエサウはセイルの山地に住みついたのである。
★兄エソウの思いやりをここに見ます。筋で言うなら弟ヤコブが他の地へ行くべきでしょうか。この箇所を通して「立っていると思っている人は倒れないよう気をつけなさい」の御言葉が心に響きます。人とは、どれほど多くの隠れた善意と愛によって支えられ生かされていることか。あるいは力を得、強くなった弟ヤコブに兄エソウは仕方なく自ら他の地に移ったのかもしれません。ならば力とは何とむなしいもの。人の気持ちをねじ伏せ、人の善意さえわからなくさせ、成功はすべて私が……したからと自己満足の世界で終わらせてしまう。神様の恵みと人の優しさに心向けましょう。そして感謝と愛を分かち合う生き方を選ぶのです。

■マタイ23:37ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。
★この章は自らの力ある立場を利用し、多くの民衆をコントロールし苦しめていた律法学者、パリサイ人に対して主が呵責のない叱責を与えている箇所です。たとえば「彼らは重い荷をくくって、人の肩に載せ、自分はそれに指一本さわろうとはしません。彼らのしていることはみな、人に見せるためです」と。しかしここで主の目には涙がありました。それはこの叱責が単なる裁き、彼らを退けることが目的でないゆえです。私たちが常に受け取るべきはこの主の愛の心です。今日も主と共に歩みましょう。ヒデ

水曜日, 1月 19, 2011

20110120_創世34-35_詩篇37_マタイ22

■創世記35:10神は彼に仰せられた。「あなたの名はヤコブであるが、あなたの名は、もう、ヤコブと呼んではならない。あなたの名はイスラエルでなければならない。」それで彼は自分の名をイスラエルと呼んだ。
★一つの試練がヤコブ一家を襲ったとき、彼は「私たちは立って、ベテルに上って行こう。私はそこで、私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に祭壇を築こう。」とベテルへと向かいます。その時神様が上の御言葉を語られたのです。「押しのける者ではなく神の皇太子だ」と。神様とはいかなるお方でしょう。それは悩みの時あなたを励まして下さるお方です。近づくべきはこのお方、心に礼拝の祭壇を築いて主の名を求めましょう。主は必ずあなたを励まし助けて下さいます。

■詩篇37:3主に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。37:4主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
★あなたが遣わされているところは「この地でありこの世」。そこで誠実を養うのです。だからこそ内に霊の命が必要です。神様はあなたを世捨て人とするためではなく、この世の変革のために召し出されました。心を強めて下さる主との交わりから、あなたが地の塩、世の光として輝きますように。

■マタイ22:21彼らは、「カイザルのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」
★陥れようとした宗教家に対し、主が応えられた有名な御言葉です。「カイザルの形はカイザルに」。すなわち為政者への納税の義務を疎かにしてはなりません。しかしここで主が最も伝えたかった本質は何でしょう。「カイザル形はカイザルに、ではあなたにはどんな形が刻まれているのか。あなたには『神のかたち』が刻まれているではないですか。それは神様に返すのです」です。わすれないで下さい。あなたの中には神御自身が造られた、永遠を慕う、神に似せて造られた「神のかたち」があるのです。ヒデ

20110119_創世32-33_詩篇36_マタイ21

■創世記33:1 ヤコブが目を上げて見ると、見よ、エサウが四百人の者を引き連れてやって来ていた。ヤコブは子どもたちをそれぞれレアとラケルとふたりの女奴隷とに分け、33:2女奴隷たちとその子どもたちを先頭に、レアとその子どもたちをそのあとに、ラケルとヨセフを最後に置いた。33:3ヤコブ自身は、彼らの先に立って進んだ。彼は、兄に近づくまで、七回も地に伏しておじぎをした。33:4エサウは彼を迎えに走って来て、彼をいだき、首に抱きついて口づけし、ふたりは泣いた。
★兄をだまし、長子の特権と祝福を奪ったヤコブが21年ぶりに生まれ故郷に帰り、兄に対面しようとするとき最初に取った態度とは。400人の勇者を前に使わし、力で兄をねじ伏せようとするそれでした。それによって激怒する兄。そんな不遜な態度ででるならば、こちらも400人の勇士をもって迎えてやろうじゃないか。ヤコブはその兄の反応を恐れ、一行全員が皆殺しにされても自分は助かれるように、一番後にわが身を置きます。しかし、その夜あらわれた神様の使いとの霊的格闘で、霊的もものつがい「力の源」に触れられ、砕かれたヤコブは、自分の非を認め一番後ろからではなく、先頭にたって、謝罪の気持ちで兄に向かいます。なんとその結果、生まれたのが上の麗しい兄弟の再会の場面です。
人は問題の原因を外に見出し、それを指摘し叩き、他者を変えようとしますが、多くの場合うまく行きません。しかし、まず自分自身を掘り下げ、誤魔化さないで自分の非と向き合い、それを認め、主の前にひざまずき、あわれみを求めるなら、主は思わぬ恵みと祝福を与えてくださるのです。ヤコブはこの時、神様の使いにあなたの名はと尋ねられ時、はじめて自ら「私は押しのける者。ヤコブです」と応えます。祝福の鍵を握るのは人ではなく自分。変わることの出来るのも人ではなく自分。結果、主からヤコブではなくこれらイスラエル「神の皇太子」と呼びなさいと語られました。ヤコブとその信仰に生きる彼の霊的子孫の上に、今も後も代々限りなく神様の祝福がありますように。ヒデ

火曜日, 1月 18, 2011

20110118_創世31_詩篇35_マタイ20

■創世記31:36そこでヤコブは怒って、ラバンをとがめた。ヤコブはラバンに口答えして言った。「私にどんなそむきの罪があって、私にどんな罪があって、あなたは私を追いつめるのですか。31:37あなたは私の物を一つ残らず、さわってみて、何か一つでも、あなたの家の物を見つけましたか。もしあったら、それを私の一族と、あなたの一族の前に置いて、彼らに私たちふたりの間をさばかせましょう。
★ここに押しのける人ヤコブの性質が如実に表れます。伯父ラバンのもとを逃げるように出で立ったヤコブ。その時ヤコブの妻ラケルはヤコブに内緒で、父ラバンが占いに使うテラフィムを盗んでいたのです。結局ラバンはラケルが隠し持っているテラフィムを見つけることができません。その時ここぞとばかりに訴えているのが、このヤコブの姿です。自分に非のないのがわかり、相手の間違いを容赦なく責め立てるヤコブ。まさにこれが押しのける者の性質。そして恐れに心が捕らわれている人、ヤコブの姿でした。神様はそのヤコブを、神の皇太子へと造りかえられるのです。主の御名は、ほむべきかな。

■詩篇35:1主よ。私と争う者と争い、私と戦う者と戦ってください。

■マタイ20:12言った。『この最後の連中は一時間しか働かなかったのに、あなたは私たちと同じにしました。私たちは一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱したのです。』20:13しかし、彼はそのひとりに答えて言った。『友よ。私はあなたに何も不当なことはしていない。あなたは私と一デナリの約束をしたではありませんか。20:14自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。
★たとえどんな人であれ精一杯生きようとする人には1日1デナリ。即ち人が生きて行く上で必要なものは得られるべきである。「私はそうしてあげたいのだ」。最も辛く悲しい立場の人にとって、この主の発言はどれほどの慰めでしょう。この主のお心のゆえに私たちは主を誇り、その心を自らのものとさせて頂きたいのです。あなたの辛いときにも、主はそう語って下さいます。ヒデ

月曜日, 1月 17, 2011

20110117_創世30_詩篇34_マタイ19

■創世記30:33後になってあなたが、私の報酬を見に来られたとき、私の正しさがあなたに証明されますように。やぎの中に、ぶち毛やまだら毛でないものや、羊の中で、黒毛でないものがあれば、それはみな、私が盗んだものとなるのです。」30:34するとラバンは言った。「そうか。あなたの言うとおりになればいいな。」
★「そうか。あなたの言うとおりになればいいな」とは、押しのける者ヤコブに対する伯父ラバンの言葉です。そしてその言葉の意味は、ヤコブはラバンのもとで働いたが、当然得るべき報酬も得ることができず、ただ働き同然の軽んじられた生活を強いられたと言うことです。兄の長子の特権や祝福を、父さえ騙して奪おうとするヤコブの性質を知った伯父ラバンは彼の人格を蔑み、正当に扱うことが出来なかったのです。本当に、人は必ず蒔いた物を刈り取ることになる霊的法則は、ここでも明らかですから厳かです。一時的に人は騙せても、決して神様をだますことが出来ないことを知る人は幸いです。

■詩篇34:18主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。34:19正しい者の悩みは多い。しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。

■マタイ19:26イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」
★「まことにまことにあなた方に言います」とか、主がじっと見つめて語られるその時とは、主が最高度に今から語る真理を受けとめて欲しいと願って取られる行動の常套手段です。主はあなたに知って欲しいことがあるのです。神は人でないことを。私もあなたに知って欲しいことがあります。それは人が神様の前に犯せる最大の罪とは不信仰であることを。あなたは決して自分の知識と経験で神様を小さくしてはなりません。神様はあなたよりも大いなるお方で、決してあなたの設ける枠の中には入りきらない愛と恵みに富むお方です。それを感謝し信じましょう。ヒデ

土曜日, 1月 15, 2011

20110116_創世28-29_詩篇33_マタイ18

■創世記28:15見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」
★自分が受け取るべき長子の権のみか、祝福まで弟ヤコブが奪ったことを知ったとき、兄エソウの中に弟ヤコブへの殺意が芽ばえます。それを知ったヤコブは母リベカの生まれ故郷、叔父ラバンのもとに向かいます。上の御言葉はその途中、不安と孤独の中で石を枕にヤコブが一晩過ごしたとき、夢の中で語りかけて下さった神様のことばです。なんと神様はあわれみ深いお方でしょう。先が全く見えず希望がなく、自分がしたことが正しいことかと言えばその確信もなく、かといって兄のもとに帰り、悔い改める遜った心があるかと言えばそれもなく。そんなヤコブにとって「あなたを捨てない」はどれほどの慰めだったでしょう。聖書は語ります。「神の選びと召しとは変わることがない」と。
そして神様があなたに注ぐ愛と、あなたへの召しも変わることがありません。安心しましょう。そして祝福は、自分が押しのける者ヤコブであることに気づき、神様の憐れみを求め始めるところからスタートすることを覚えましょう。罪を犯したアダムの子孫は皆、霊的な意味において、押しのける者の性質を持つヤコブです。しかし神様はその私を神の皇太子「イスラエル」へと変えて下さるのです。ここにこそ生ける神様の希望があります。

■詩篇33:9まことに、主が仰せられると、そのようになり、主が命じられると、それは堅く立つ。33:10主は国々のはかりごとを無効にし、国々の民の計画をむなしくされる。33:11主のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は代々に至る。33:12幸いなことよ。主をおのれの神とする、その国は。……33:18見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。
★そうです主の目はあなたに注がれています。そして主の救いと恵みはあなたのも、なによりも神様を恐れ、御心を求めるあなたの計画を主が成し遂げて下さるのです。何とあなたは幸いな人でしょう。ハレルヤ!ヒデ

金曜日, 1月 14, 2011

20110115_創世27_詩篇32_マタイ17

■創世記27:38エサウは父に言った。「お父さん。祝福は一つしかないのですか。お父さん。私を、私をも祝福してください。」エサウは声をあげて泣いた。
★兄の祝福まで奪った、押しのける者ヤコブ。決してヤコブが正しいわけではありません。結果、彼は今後21年間、生まれ故郷を離れ、苦しい生活を強いられます。しかし兄エソウはかつて「長子の特権」など何になろうと、飢えを満たすにまかせて、パンとレンズ豆の煮物で弟ヤコブにその特権を売り渡してしまうのです。神様がよしとされた「長子の特権」をいとも簡単に売り渡すなんて、注がれる霊の祝福の秩序の見えていない証拠です。学びましょう。あなたにも今でなけれ開かれていない祝福があるのです。取りもどせない祝福も、ただ信じて受け取る恵みの祝福も、神様の祝福の中にはあるのです。
あなたは神様が「……を祝福する。……の祝福をおまえに与える」と語られるのに、「どうせ私なんか……。まさか私なんかに……。」とあれこれ理由をつけて折角の祝福を拒絶しているところはないですか。神様はあなたが想像する以上に、あなたに対し気前よく素晴らしいことをして下さるお方です。信じ受け取るのです。そう神様が今くださろうとしている祝福は今受け取りましょう。決して神様のくださる祝福を、かつてのエソウのように軽んじ拒んではなりません。恵みに対し素直な人が祝福を受けます。

■マタイ17:4 すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」
★主と共に山に登り、主の素晴らしいことを見たペテロは何と言ってその素晴らしさを表現してよいか分かりませんでした。しかし、素晴らしさはそれだけではありません。山のふもとに留まった他の弟子たちの所にも、てんかんで苦しむ少年を癒す機会が備えられたのです。大切なことは信仰によってその人をキリストのもとにお連れすること。あなたは他者の祝福のために遣わされた所で祝福をお祈りするためにも召し出されました。ヒデ

木曜日, 1月 13, 2011

20110114_創世25-26_詩篇31_マタイ16

■創世記26:24主はその夜、彼に現れて仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいる。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加えよう。わたしのしもべアブラハムのゆえに。」
★主がアブラハムの子イサクに語れた言葉です。この言葉によってイサクはどれほど励まされたことでしょう。しかし思い違いをしてはならないことは「アブラハムのゆえに」です。ある人々は「……は全部、自分がやった」とのことばで、その場をコントロールし、周りの人々を不愉快な思いにさせることがありますが、聖書はここで「それは恵みによるのです」とイサクに示すのです。立っていることは感謝、倒れないようにしなければなりません。そのためには「受けた恵み・支え・励まし・執り成し」を、感謝を持って受けとめ、栄光を父なる神様にかえすことです。「高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みを給う」のは、神様によって定められた不変の法則です。

■マタイ16:24それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。16:25いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。16:26人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。
★命には2種類のいのちがあることを主はここで示されます。肉体の命とまことの命(永遠に存在する霊の命)です。あなたはどちらを優先していますか。また自分の命とは、自分で守ろうとするよりも、使うことを優先すべきものと、ここで主は示されます。もっとも幸せな人とは誰でしょう。それは自分の命を捨てても惜しくないほどに、価値あるものを見つけ、そこに人生をかけることのできる人。そして主はあなたの中にその価値を見つけ、命を捨てて下さいました。あなたはこの愛にどう応えるでしょうか。ヒデ

水曜日, 1月 12, 2011

20110113_創世24_詩篇29-30_マタイ15

■創世記24:14 私が娘に『どうかあなたの水がめを傾けて私に飲ませてください』と言い、その娘が『お飲みください。私はあなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言ったなら、その娘こそ、あなたがしもべイサクのために定めておられたのです。このことで私は、あなたが私の主人に恵みを施されたことを知ることができますように。」
★これはアブラハムから息子イサクのお嫁さん探しの使命を託された、アブラハムの最年長の僕の、お嫁さん探しの規準です。彼はアブラハムの家の全財産を任されていました。あなたは人を選ぶとき何を規準に選びますか。この僕の規準は、私だけではなく、もう一つ気を使い、ラクダにもと言うことのできる愛の基準でした。何を物差し、規準にするかによってその人自身が測られ、それによってその人の将来が変わります。願わくは、一時的なこと外見的、表面的なことではなく、内面的、本質的なことによって、人と関わることができますように。

■詩篇30:4聖徒たちよ。主をほめ歌え。その聖なる御名に感謝せよ。30:5まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。

■マタイ15:26すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです」と言われた。15:27しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」15:28そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。
★主はあなたの信仰をためされるお方。神様は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みを下さいます。主はあなたの為に素晴らしい用意を既にしておられます。あきらめの霊、敗北の霊に支配されることを神様は願っておられません。遜りましょう。求めましょう。そして約束のものを頂いて栄光を神様に帰しましょう。ヒデ

火曜日, 1月 11, 2011

20110112_創世22-23_詩篇26-28_マタイ14

■創世記22:2神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」
★アブラハムに臨んだ神様からの試練です。最愛、しかもひとり子であることをよくご存知の上で「イサクをささげよ」と。アブラハムは次の日躊躇することなく出かけ、指定された山のふもとまで来たとき、若い僕たちに「ろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとは行き、礼拝をして、戻って来る」と言ったのです。この時のアブラハムの確信とは何でしょう。聖書は他の箇所で「彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです」と記しています。神様は最善以外なさらない。生かして返して下さるお方。そして、まさにこのことを通して、アブラハムはイサクへの盲目的な溺愛から守られ、神様から託された大切な子供を、神様からお預かりしたものとして、育てることができたのです。全ては神様のもの、しかし神様はこの私も信任下さって、神様の尊いものを委ねて下さる。あらゆる面において、この信仰に立つ尊さを、心に憶える人は幸いです。

■マタイ14:27しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。
★嵐となった湖の上で船をこぎあぐねる弟子たち。そこに歩いてイエス様が近づいたのです。主を幽霊と思い、恐れるのは当然かもしれません。しかしその時主は「恐れるな」と語られます。そして主が弟子たちの船に乗り込まれたとき嵐は止みました。そう、主は全能者。そのお方が、あなたの救いの為におとめマリヤのお腹をかり、人の姿を取って来て下さったのです。今日あなたは「恐れるな」と語りかけて下さる主の御声が聞こえますか。主を心の中に迎え入れましょう。主は嵐を静めて下さいます。ヒデ

月曜日, 1月 10, 2011

20110111_創世20-21_詩篇23-25_マタイ13

■創世記21:1主は、約束されたとおり、サラを顧みて、仰せられたとおりに主はサラになさった。21:2サラはみごもり、そして神がアブラハムに言われたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。
★それはアブラハムに神様が「父のもとを出て私の示す地に行きなさい」と語られた25年目のことでした。確認しましょう。主が語られたことは必ず実現へと導かれるのです。その途中には一度ならず2度までも「これは私の妹です」と、自らとサラの関係が夫婦であることを隠し、肉策我策、自己保身の心で問題に臨もうとしたことも否めません。それでも主は、ご自身を見上げるアブラハムに、その時その時関わって下さり、信仰の父と呼ばれる器へと立て上げて下さったのです。自分に失望してはなりません。主に望みをおくのです。「この私をも神様は造りかえることができる」。主はアブラハムのこの信仰のゆえに、彼を義とし、信仰の父、やがて神の友と呼ばれることを恥とされなかったのです。

■マタイ13:23ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」
★道ばたに落ちた種。岩地に落ちた種。いばらの中に落ちた種。そして良い地に落ちたものは30倍60倍100倍と。しかし大事なことは、人の心に関して最初から良い地はないと言うことです。神の言葉に示されて、聖霊様のあたたかな配慮のもと、罪を悔い、弱さ傷を認めて、励ましを受け取った結果、実を結ぶ良い地とされるのです。悔い改めてない罪は自己弁護、自己保身をもたらし。癒されていない傷を認めない場合は、時には自分は無意識の中にあっても結果、攻撃的人生の中で相手を傷付けざるを得ません。赦しと癒しは既に主の中に。恐れないで心を開き、神様の恵みの中に飛び込む時、そこから神様の不思議がはじまります。ヒデ

日曜日, 1月 09, 2011

20110110_創世19_詩篇22_マタイ12

■創世記19:8「お願いですから。私にはまだ男を知らないふたりの娘があります。娘たちをみなの前に連れて来ますから、あなたがたの好きなようにしてください。ただ、あの人たちには何もしないでください。あの人たちは私の屋根の下に身を寄せたのですから。」
★ソドムとゴモラに神の使いが訪れた時、ロトは自分の家に泊まるようにと語りますが、ホモセックスを求めて戸を叩く町の汚れた人々の前に、自分の娘を差しだそうとするのです。アブラハムと分かれたときも、こうした時も外面のよさを優先しようとするロト。結果、彼は家族を失うことになるのです。本来ロトが守るべきは、家族であり、神様への信仰です。その心が世の欲に囚われている人のあわれを覚え、心のスイッチを明確に神様の側に切り替えさせて頂きましょう。

■詩篇22:1わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。
★あなたは父に捨てられた経験がおありですか、あれば主はあなたと同じ経験をなさいました。なければキリストが捨てられたのは、あなたが父なる神様に捨てられなくてすむ道を開いて下さるためです。感謝して受け取りましょう。

■マタイ12:45「そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。邪悪なこの時代もまた、そういうことになるのです。」
★聖書はあなたが関心を寄せ、心開こうとするものについて、よく吟味しなさいと語ります。開いたものに影響を受けるのです。とりわけ注意すべきは偶像礼拝です。何にでも手を合わせることがないように。なぜなら手を合わせ、礼拝をすることによって、そこに霊的には契約関係が生じるからです。キリストはあなたを奴隷ではなく、自由を与えるために十字架の上で死んで下さいました。ヒデ

20110109_創世17-18_詩篇19-21_マタイ11

■創世記17:5あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。
★アブラムとは高貴なる父、高められた父との意味。アブラハムとは多くの国民の父との意味。そう、神様は人の生涯に関わり、名前とその人の本質を新しくして下さるお方です。サライはサラへ。シモンは大岩の意味であるペテロへ。大きい者との意味のサウロは、キリストにあって、いと小さき者とのパウロへ。押しのける者ヤコブは神様の皇太子とのイスラエルへ。あげれば更に続きます。あなたを母の胎に形づくられ、あなた以上にあなたを知っておられる神様は、どのようにあなたを祝福しようと計画しておられることでしょう。今まで以上に関心をもって神様の語りかけに耳を傾けましょう。あなたは神様の喜びの対象です。

■詩篇19:13あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。そうすれば、私は全き者となり、大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。19:14私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。わが岩、わが贖い主、主よ。

■マタイ11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
★有名なキリストのことばです。どうすれば安らぎが与えられるのでしょう。この点において、ある人々は誤解のゆえに失敗します。安らぎ、それは全ての責任の放棄、自由の権利の主張によって得られるものではありません。キリストがともに負って下さるくびきを負うことによって与えられるものです。人は父なる存在、天の神様のもと、価値あることに参加し、自ら必要とされ、ともに励まし合える関係の中でこそ、満足と安らぎを経験できるのです。あなたもこの関係の中で安んじましょう。ヒデ

土曜日, 1月 08, 2011

20110108_創世15-16_詩篇18_マタイ10

■創世記16:4彼(アブラム)はハガル(サライの女奴隷)のところに入った。そして彼女はみごもった。彼女は自分がみごもったのを知って、自分の女主人(サライ)を見下げるようになった。
★主人を見下げるようになったハガルもハガルです。しかし、アブラムの妻サライも「ご存じのように、主は私が子どもを産めないようにしておられます。どうぞ、私の女奴隷のところにお入りください。たぶん彼女によって、私は子どもの母になれるでしょう。」とアブラムに勧めたのです。その点聖書は「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です」と教えます。主人の迷いは主人の迷いに留まりません。その下に置かれた全ての人に影響をもたらします。だからゆるがない神の言葉に踏みとどまる責任が大きいのです。あなたに必要なのは神の約束ですか。信仰ですか。それとも忍耐ですか。

■詩篇18:6私は苦しみの中に主を呼び求め、助けを求めてわが神に叫んだ。主はその宮で私の声を聞かれ、御前に助けを求めた私の叫びは、御耳に届いた。18:9主は、天を押し曲げて降りて来られた。暗やみをその足の下にして。
★主はあなたの為にくだって下さるお方です。

■マタイ10:28からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
★あなたは何を恐れているでしょう。人は何を恐れるかによって生涯が変わります。それは、ある人にとっては「あなたは何に支配されていますか」との言葉に置き換えることも可能かもしれません。唯一あなたが恐れることによってあなたを解放して下さるのは神様。それ以外はあなたを奴隷として縛るものであることに目がくらまされていてはなりません。ヒデ