木曜日, 2月 24, 2011

20110224_出エ37_詩篇96-99_1コリント7

■出エジプト37:7また、槌で打って作った二つの金のケルビムを「贖いのふた」の両端に作った。37:8一つのケルブを一方の端に、他のケルブを他方の端に。ケルビムを「贖いのふた」の一部として、その両端に作った。37:9ケルビムは翼を上のほうに伸べ広げ、その翼で「贖いのふた」をおおい、ケルビムは互いに向かい合い、その顔は「贖いのふた」に向いていた。
★神様の人に対する願いの中心がここに描かれます。神様の御目が注がれる中心は何でしょう。それは贖いであり解放です。アダム以来、罪と死に縛られた人を解き放ちたいのです。にも関わらず人は時に様々な出来事と関係の中で「私なんか……」と死や孤立を選ぶことがあります。しかし闇の力に騙されてはなりません。このお方、主にとってあなたはなくてはならない存在、大切な存在。あなたに代わるスペアーはないのです。あなたは主の贖いと解放の血潮といのちを受けて生きるのです。キリストの御名によって「生きよ!」

■詩篇99:1主は王である。国々の民は恐れおののけ。主は、ケルビムの上の御座に着いておられる。地よ、震えよ。

■1コリント7:19割礼は取るに足らぬこと、無割礼も取るに足らぬことです。重要なのは神の命令を守ることです。
★牧師となった森が心の深くで、長らく苦悩し納得と解放が与えられず、人と比較し心を内向きにさせられていたこと。それは学歴コンプレックスでした。しかし、愛すべき対象が明確になり、人が為すべき重要なことが明確になったとき、以前の思いは消えました。あまりにも大きなテーマ「重要なのは神の命令を守ること。」が与えられたのです。大きすぎます。しかし、愛して下さる主への応答として、生ききれなくても「共に生きることを選び取る」そこに挑戦したいのです。ヒデ

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