日曜日, 2月 27, 2011

20110227_レビ1-2_詩篇103_1コリント11

■レビ1:1主はモーセを呼び寄せ、会見の天幕から彼に告げて仰せられた。1:2「イスラエル人に告げて言え。もし、あなたがたが主にささげ物をささげるときは、だれでも、家畜の中から牛か羊をそのささげ物としてささげなければならない。
★今日からレビ記です。この書はシナイ山に幕屋を張り広げた時からシナイ山を出発するまでの間に主がモーセに示された内容です。要約すると、「罪ある人間が聖い神様に近づくためにはいけにえが必要である」ということで、以下の5つの供え物についての解説がなされます。全焼の、穀物の、和解の、罪のための、罪過のためのいけにえ。しかし主のものとされた私たちは何という感謝でしょう。十字架の上でご自身をささげられたいけにえ、すなわちキリストの血によって、はばかることなく神様に近づける道が開かれたのです。差し控えることなく、ためらうことなくです。あなたはこのめぐみに生きていますか。

■詩篇103:9主は、絶えず争ってはおられない。いつまでも、怒ってはおられない。103:10私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。103:11天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。

■1コリント11:17ところで、聞いていただくことがあります。私はあなたがたをほめません。あなたがたの集まりが益にならないで、かえって害になっているからです。11:18まず第一に、あなたがたが教会の集まりをするとき、あなたがたの間には分裂があると聞いています。ある程度は、それを信じます。11:19というのは、あなたがたの中でほんとうの信者が明らかにされるためには、分派が起こるのもやむをえないからです。
★キリストのみ身体である教会、共同体の中でこそ気づける自分があり、そのことを通して明け渡し、十字架に付け、いのちを注いで頂き、結果キリストに似るものとされる恵みがあることは何と言う感謝でしょう。聖霊もけがれた霊も「関係」の中に働きくことを弁え、神様を畏れて歩めることは幸いです。ヒデ

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