木曜日, 1月 13, 2011

20110114_創世25-26_詩篇31_マタイ16

■創世記26:24主はその夜、彼に現れて仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいる。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加えよう。わたしのしもべアブラハムのゆえに。」
★主がアブラハムの子イサクに語れた言葉です。この言葉によってイサクはどれほど励まされたことでしょう。しかし思い違いをしてはならないことは「アブラハムのゆえに」です。ある人々は「……は全部、自分がやった」とのことばで、その場をコントロールし、周りの人々を不愉快な思いにさせることがありますが、聖書はここで「それは恵みによるのです」とイサクに示すのです。立っていることは感謝、倒れないようにしなければなりません。そのためには「受けた恵み・支え・励まし・執り成し」を、感謝を持って受けとめ、栄光を父なる神様にかえすことです。「高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みを給う」のは、神様によって定められた不変の法則です。

■マタイ16:24それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。16:25いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。16:26人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。
★命には2種類のいのちがあることを主はここで示されます。肉体の命とまことの命(永遠に存在する霊の命)です。あなたはどちらを優先していますか。また自分の命とは、自分で守ろうとするよりも、使うことを優先すべきものと、ここで主は示されます。もっとも幸せな人とは誰でしょう。それは自分の命を捨てても惜しくないほどに、価値あるものを見つけ、そこに人生をかけることのできる人。そして主はあなたの中にその価値を見つけ、命を捨てて下さいました。あなたはこの愛にどう応えるでしょうか。ヒデ