■創世記16:4彼(アブラム)はハガル(サライの女奴隷)のところに入った。そして彼女はみごもった。彼女は自分がみごもったのを知って、自分の女主人(サライ)を見下げるようになった。
★主人を見下げるようになったハガルもハガルです。しかし、アブラムの妻サライも「ご存じのように、主は私が子どもを産めないようにしておられます。どうぞ、私の女奴隷のところにお入りください。たぶん彼女によって、私は子どもの母になれるでしょう。」とアブラムに勧めたのです。その点聖書は「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です」と教えます。主人の迷いは主人の迷いに留まりません。その下に置かれた全ての人に影響をもたらします。だからゆるがない神の言葉に踏みとどまる責任が大きいのです。あなたに必要なのは神の約束ですか。信仰ですか。それとも忍耐ですか。
■詩篇18:6私は苦しみの中に主を呼び求め、助けを求めてわが神に叫んだ。主はその宮で私の声を聞かれ、御前に助けを求めた私の叫びは、御耳に届いた。18:9主は、天を押し曲げて降りて来られた。暗やみをその足の下にして。
★主はあなたの為にくだって下さるお方です。
■マタイ10:28からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
★あなたは何を恐れているでしょう。人は何を恐れるかによって生涯が変わります。それは、ある人にとっては「あなたは何に支配されていますか」との言葉に置き換えることも可能かもしれません。唯一あなたが恐れることによってあなたを解放して下さるのは神様。それ以外はあなたを奴隷として縛るものであることに目がくらまされていてはなりません。ヒデ
0 件のコメント:
コメントを投稿