■創世記40:23ところが献酌官長はヨセフのことを思い出さず、彼のことを忘れてしまった。
★エジプトに売られたヨセフについて一言で表現するなら「主がともにおられたので」です。そして実際、御言葉はそのことを「主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。」(39:2)、「しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。」(39:21)と紹介します。それだからこそサタンは人を用い、ヨセフを誘惑し、ヨセフへの当然の恩を忘却させることを通して、彼を失意のどん底に突き落とそうとするのです。それでもヨセフはかつて見た幻と、どんな時にも常に主がともにいて下さる事実を忘れません。あなたは自分を見るなら落胆します。人を見るなら失望します。だからこそヨセフのように主を見上げて生きるのです。
■マタイ26:74すると彼は、「そんな人は知らない」と言って、のろいをかけて誓い始めた。するとすぐに、鶏が鳴いた。26:75そこでペテロは、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います」とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。
★「あなたがたは私を裏切るでしょう」と主が語ったとき、弟子たちは皆そんなことはありませんと反論を。ペテロはその中でも殊更に「他の弟子たちが裏切っても、私は決して裏切りません」と語り、何とか主の姿を追って大祭司の官邸にまで従います。しかし結末は主の言葉通り、一婦人の語りかけによって「その人を知らない」と否むのです。なぜでしょう。それは、いつでもいざとなったら逃げ出せる距離感、即ち遠すぎたのです。もっと近ければ、否む前に主の眼差しと愛がペテロの心に注がれ、恐れの中にも大胆に告白し立つことができたでしょう。さてあなたと主との距離はどうでしょう。主の心臓の鼓動を主の胸もとで聞くほどに近くおらせて頂きましょう。主は語られます。「私は決してあなたを離れずあなたをすてない」と。ヒデ
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