■1サムエル4:8ああ、困ったことだ。だれがこの力ある神々の手から、われわれを救い出してくれよう。これらの神々は、荒野で、ありとあらゆる災害をもってエジプトを打った神々だ。4:9さあ、ペリシテ人よ。奮い立て。男らしくふるまえ。さもないと、ヘブル人がおまえたちに仕えたように、おまえたちがヘブル人に仕えるようになる。男らしくふるまって戦え。」
★これらの言葉はイスラエルの宿敵ペリシテのもので、その理由は前の戦いでイスラエルがペリシテに敗れたとき「なぜ主は、きょう、ペリシテ人の前でわれわれを打ったのだろう。シロから主の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。」と言った為でした。結果イスラエルの力ある神を恐れて、今まで以上に命がけで戦ったペリシテ軍が勝利を治めたのです。ここにひとつの教訓が。主を迎え入れたと言っても、そこに真摯な主への従順と畏れがなければ、むしろ敵の必死によって打ち負かされることがあるということ。信仰とは格好では無く、生きざま、本気そのものであることを心に刻みましょう。
■イザヤ50:8私を義とする方が近くにおられる。だれが私と争うのか。さあ、さばきの座に共に立とう。どんな者が、私を訴えるのか。私のところに出て来い。
★ハレルヤ!胸がすくような神様理解がここに、まさにここにある通り。主を信じたあなたのためには、いざと言うとき、キリストがあなたを訴える者の前に、あなたと共に立って、十字架の上で流された命の代価を根拠に「私は彼の罪のためにも命を捨てたんだ。裁きは終わった。負債は支払済みだ。」と仰るのです。キリストが十字架で成し遂げられ贖い。それは人類が捕らえられていた死の恐怖さえ打ち砕くものです。いいですか。あなたは自分を訴える者に対して自分で戦おうとしてはなりません。このキリストの中に隠れこんで、このお方に戦って頂くのです。「イエス・キリストの御名によって命じる。サタンよ退け。私はキリストにあって赦されたものである」と。キリストはあなたを救うために命を捨てられたのです。ヒデ
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