火曜日, 6月 15, 2010

20100615_士師16_イザヤ39_2ペテロ3

■士師16:16こうして、毎日彼女が同じことを言って、しきりにせがみ、責め立てたので、彼は死ぬほどつらかった。16:17それで、ついにサムソンは、自分の心をみな彼女に明かして言った。「私の頭には、かみそりが当てられたことがない。私は母の胎内にいるときから、神へのナジル人だからだ。もし私の髪の毛がそり落とされたら、私の力は私から去り、私は弱くなり、普通の人のようになろう。」
★聖書は、サムソンはソレクの谷にいる一人の女を愛したと語りますが、果たしてこの遊女のもとに彼は留まり続けるべきだったでしょうか。留まり続けようとするばかりに彼は苦しみ、遂には銀貨数千枚にかえて自分を売り渡そうとするデリラに、自らの力の源の秘密を明らかにせざるを得なくなってしまったのです。その結果彼は力を失いペリシテ人から目をくり抜かれ笑い者とされてしまいます。そうです。サムソンはそこを去るべきでした。そこに留まる為の言い訳を探すべくもなく去るべきだったのです。あなたにはそこを去るべきと示されることはありますか。主を仰ぎ将来のために勇気ある決断をさせて頂きましょう。

■2ペテロ3:16その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の個所のばあいもそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。
★あなたはヒョッとするとまだ一度も聖書通読の経験のない方でいらっしゃるかも知れませんね。その上でなぜ私たちは聖書通読にこだわったライフスタイルの確立をこうしてめざそうとするのでしょうか。ここにはその問に対する一つの答えが記されています。それは聖書を曲解し自らに滅びを招かないためです。その為には文脈を無視した読み方は控えましょう。また、単に知的に読む以上に心に語りかけられる神様の御声を大切に通読を進めるのです。主はそうした生き様を重んじようとするあなたの生涯において、必ずみ言葉に霊感を与えて、いよいよの時あなたの命と希望を守って下さるお方です。ヒデ

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