土曜日, 6月 12, 2010

20100612_士師10-11_イザヤ36_1ペテロ2

■士師11:30エフタは主に誓願を立てて言った。「もしあなたが確かにアモン人を私の手に与えてくださるなら、11:31私がアモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る、その者を主のものといたします。私はその者を全焼のいけにえとしてささげます。」
★たとえ神の人エフタと言えども愚かな契約を神様の前にしたことか。結局アモン人には勝利したものの、愛する娘を全焼のいけにえとしてささげなければならなくなったのです。人とは何と愚かで、近視眼的かつ表面的な判断をもって自らに滅びと災いを招き入れるものでしょう。けれども更に心に留めるべき厳粛な出来事とは、一度交わした霊的な契約は破棄されることがないにも関わらず、多くの人はこの事実を知らず、滅びを身に招いていることです。ここはどんなことがあっても曖昧にしてはなりません。キリストの十字架はその呪いの契約を唯一白紙にすることの出来る神の力です。
ですから知って、信じて、こう祈って下さい。「知らずとはいえ。私が交わした……の契約は間違いでした。今その過ちを認め、キリストの十字架の力を信じて祈る私を赦し、その霊的支配から解放して下さい」と。主は速かにあなたの生涯を祝福の中に移して下さいます。

■1ペテロ2:2生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
★聖書は人が救いを得、成長するためには純粋なみことばが必要と語ります。なぜですか。それは人が神の形ににせて作られたから。すなわち霊を持ち、神の霊である聖霊とのまじわりの中に生きるものとして作られたからです。「人はパンだけで生きるのではなく神の口からでる一つ一つの言葉によって」とはまさにそのことです。朝ごとに御言葉の前に静まる選択をしたあなたは何と幸いな大路を選んだことでしょう。あなたの上には今日も主の祝福が置かれています。ヒデ

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