火曜日, 6月 22, 2010

20100622_1サム1 イザヤ46-47 黙示3-4

■1:15ハンナは答えて言った。「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。
★「その頃イスラエルには王がなくめいめいが自分の目に正しいと見える事を行っていた」というイスラエルに、神様の祝福の秩序をもたらしたのが祭司サムエル。この箇所はそのサムエルの誕生についての経緯です。夫エルカナに愛されつつも子供がないためにもう一人の妻ペニンナにいじめられるハンナ。彼女はその苦しみの為に15節のように心を神様の前に注ぎ出していたのです。主はそんな彼女に「安心して行きなさい」と語り、幼子をくださる約束さえくださったのでした。誰にも分かってもらえない悲しい思い、しかし、それをそのままで終わらせない神様の恵み。心を注ぎだして神様に求める尊さを覚えましょう。

■イザヤ46:3わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。46:4あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。
★上の御言葉からの質問です。さてあなたの生涯を責任持って導いて下さるお方は誰でしょう。あなたはこの質問に既に答えを見出されましたか。

■黙示録3:20見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
★ここに表現されている『戸』とは私たちの心です。人の心は外からではなく内側からしか開けれません。そして何に心を開くかによって私たちの生涯は決まるのです。私たちのために十字架の上で命を注ぎ出して下さった主にこそ心開くあなたの上に主の祝福はこの朝も豊かに注がれます。ハレルヤ!ヒデ

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