■レビ19:2「イスラエル人の全会衆に告げて言え。あなたがたの神、主であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者とならなければならない。
★神様がここで語られる聖とはどんな意味でしょう。その意味がこの19章にはいっぱいです。「あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈ってはならない。収穫の落ち穂を集めてはならない。……貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。あなたの隣人をしいたげてはならない。かすめてはならない。日雇い人の賃金を朝まで、あなたのもとにとどめていてはならない。不正な裁判をしてはならない。弱い者におもねり、また強い者にへつらってはならない。あなたの隣人を正しくさばかなければならない。」……となお続きます。憐れみが神様のご性質であり、聖の中心的要素であることに目が開かれる時、私たちの生き方は変えられます。
■詩篇13:1主よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。13:2いつまで私は自分のたましいのうちで思い計らなければならないのでしょう。私の心には、一日中、悲しみがあります。いつまで敵が私の上に、勝ちおごるのでしょう。
★あなたの霊に戦いを挑む敵のために、いつまでですかと訴えることのできる味方を持てる幸いは何と大きなことでしょう。それが神様を知るものに与えられる特権です。
■使徒19:2「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした」と答えた。
★聖霊様に上から臨まれ、満たされる信仰生活があります。あなたは知っていますか。喜んで歓迎しましょう。聖霊様を。ヒデ
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