日曜日, 5月 08, 2011

20110508_出エ3

■出エ3:14神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた』と。
★『わたしはある』とは、召し出されたモーセが、神様の命を受けてイスラエル人のところに行く時「私が彼らに『あなたがたの父祖の神が、私をあなたがたのもとに遣わされました』と言えば、彼らは、『その名は何ですか』と私に聞くでしょう。私は、何と答えたらよいのでしょうか。」と問うたとき、神様ご自身が、はじめて明らかにされたご自身の名前です。私たちは「有らせられているもの」。しかし、このお方は「有ってあるお方」。モーセに現れたこのお方が、やがて乙女マリヤのお腹を借りて受肉なさったイエス様とは誰が想像できたでしょう。しかしモーセの時代を経た1500年後に、確かにイエス様は、心頑なにする宗教家の前で「もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです」(ヨハ5:46)と、この時のモーセとの出会いを示唆して語られたました。
「有ってあるお方」による召命ゆえに、「足から靴を脱ぎなさい。」です。しかし、その召命は、私たちを有らせて下さっているお方の召命ですから、私たちが信頼し従順するなら、必ず全うされるのです。かつては自らの力でエジプトの不正から、同胞ユダヤ人を救おうと立ち上がったモーセは40歳、しかし神様は今や80歳となったモーセをこの時、ご自身の働きのために、ご自身の方法で召し出されます。神様により頼まなければ、生きて行けない荒野の経験は意味のないものではありません。むしろ荒野の中でこそ、事を成し遂げる人を作られる神様を覚えましょう。ヒデ

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