土曜日, 7月 23, 2011

20110723_詩篇77_2コリント8

■詩篇77:10そのとき私は言った。「私の弱いのはいと高き方の右の手が変わったことによる。」
★本当にそうでしょうか。主は「ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ」(1テモテ6:16)るお方です。主が変わったのではなく本当のところは私が変わったのを主が変わられたように感じているのではないでしょうか。そうでないとするなら、あなたは喜ばなければなりません。あなたの生涯における主の特別な介入です。その試練の中で錬られるとき、あなたは豊かに神様の栄光を現わす者として出てくるでしょう。夜の明けない日はありません。必ず朝はおとずれます。そしてこの詩篇作者は「77:12私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。」と語ります。

■2コリント8:5そして、私たちの期待以上に、神のみこころに従って、まず自分自身を主にささげ、また、私たちにもゆだねてくれました。
★この章で主の弟子パウロは「8:9あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」と主の愛を紹介し、主の愛に与った者のささげものに対する考えを助言します。ささげるのはまず自分自身です。誰にですか。主にです。人にささげるならあなたはその人の奴隷です。ですから人にではありません。次に主に自らをささげた者として、主への従順の現れとして御心や人に自らを委ねます。この順番と秩序を重んじるとき、あなたは献げ物を通して、今に勝る幾倍ものを祝福を受け取ります。でも本当に価値ある大切なことは、ささげる行為自体で、その結果ついてくる祝福はおまけですよ。ヒデ

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