木曜日, 7月 14, 2011

20110714_詩篇42_1コリント15

■詩篇42:11わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。なぜ、私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の顔の救い、私の神を。
★この詩の著者は「私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。人が一日中『おまえの神はどこにいるのか』と私に言う間。私はあの事などを思い起こし、私の前で心を注ぎ出しています。」と告白するほどに、神様を避け所とし、神様を愛する人物でした。ひょっとすると彼がこれほどに神様を愛さなければ、彼はこんな偏見に満ちた苦しみを経験する必要は無かったのかも知れません。しかし彼は神様を愛し、冒頭の告白の様に、主の愛への信頼を自分自身で自分に語りかけ、励まそうとしたのです。あなたは主にあって、自分自身で自分に語りかけ励ますことがありますか。

■1コリント15:10ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。15:11そういうわけですから、私にせよ、ほかの人たちにせよ、私たちはこのように宣べ伝えているのであり、あなたがたはこのように信じたのです
★復活がいかに史実的、神学的に根拠のあるものか。また世の終わりにおこる再臨がどんな形で現われるのかまで話題を広げるパウロですが、そもそもパウロが「私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」と言うに至った切っ掛けは、冒頭の御言葉です。神様の恵みを受け取るとき人に感謝が生まれます。そしてその人は変わります。将来に対して目が開けます。希望が与えられます。神様の恵みを受け取りましょう。拒んではなりません。ヒデ

0 件のコメント:

コメントを投稿