金曜日, 7月 08, 2011

20110708_ヨシュア20_1コリント9

■ヨシュア20:2「イスラエル人に告げて言え。わたしがモーセを通してあなたがたに告げておいた、のがれの町をあなたがたのために定め、20:3あやまって、知らずに人を殺した殺人者が、そこに逃げ込むことのできるようにしなさい。その町々は、あなたがたが血の復讐をする者からのがれる場所となる。
★神様がイスラエルに与えようとして下さっている約束の地に、なくてはならないものは何か。それは逃れの場所だと主は語られます。人は誰でも故意ではなくとも過失を犯すもの。その過失に最大限の理解を示し、保護を加えて下さろうとするお方は主ご自身です。神様とは単なる裁き主ではありません。そして、たとえあなたが敵に囲まれ、困難を覚えるような時があっても、あなたは一人ではありません。神様は私たちの避け所であり、悩める時、そこにある助けです。逃げ込みましょう。

■1コリント9:22弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。
★主の弟子として自分の立場や能力を最大限注ぎだし、主に仕えた人物の一人としてあげられるのがパウロその人です。そのパウロが抱いた夢は全世界へと及びます。しかし具体的に彼がとった行動は、目の前にいる「幾人か」の祝福です。あなたの生き方は例え風呂敷を広げても、地に足がついたそれですか。聖書はキリストについて「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、実に十字架の死にまでも従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。」と語ります。主とパウロの生き様に倣いましょう。ヒデ

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