月曜日, 7月 18, 2011

20110718_詩篇89_2コリント3

■詩篇89:48いったい、生きていて死を見ない者はだれでしょう。だれがおのれ自身を、よみの力から救い出せましょう。
★まさにその通り。誰もいません。しかし主は同じこの詩篇の中で「わたしは、わたしの契約を破らない。くちびるから出たことを、わたしは変えない。わたしは、かつて、わが聖によって誓った。わたしは決してダビデに偽りを言わない。彼の子孫はとこしえまでも続き、彼の王座は、太陽のようにわたしの前にあろう。」さらに「わたしは杖をもって、彼らのそむきの罪を、むちをもって、彼らの咎を罰しよう。しかし、わたしは恵みを彼からもぎ取らず、わたしの真実を偽らない。」と語られるのです。__c19__、あなたは必ず主の真実によって支えられるのです。

■2コリント3:16しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。3:17主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。3:18私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
★旧約と新約、律法と福音の対比が表現されています。ぶどう酒と皮袋はどちらが優先されるべきでしょう。ぶどう酒、すなわち命です。神様から離れた罪人にとって、律法がなければ罪の自覚さえ曖昧ですが、示されたその罪をいざ告白し捨てるならば、十字架から注がれる命は、余すところなく私たちの心に注がれ、私たちを栄光から栄光へと主と同じ姿に変え続けます。あの永遠のいのちを求めて主に近づいた金持ちの青年(マルコ10:22)は下を向き、向きを変えて主から遠ざかりました。しかしあなたは主に向きを変えなければなりません。そして生きるのです。ヒデ

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