日曜日, 7月 17, 2011

20110717_士師13・16_2コリント2

■士師記16:29そして、サムソンは、宮をささえている二本の中柱を、一本は右の手に、一本は左の手にかかえ、それに寄りかかった。16:30そしてサムソンは、「ペリシテ人といっしょに死のう」と言って、力をこめて、それを引いた。すると、宮は、その中にいた領主たちと民全体との上に落ちた。こうしてサムソンが死ぬときに殺した者は、彼が生きている間に殺した者よりも多かった。16:31……サムソンは二十年間、イスラエルをさばいた。
★ここは旧約聖書の中ではよく知られているサムソンとデリラの話です。特別な神様の選びの中で類い希な力を与えられたサムソン。しかし繰り返し言い寄るデリラに、彼も遂に自らの力の源を証しし、それが元で力を失い捕らえられ両目をえぐられるのです。それにしても聖書はその失敗よりも、彼が士師としてイスラエルを20年さばいたことを大きく評価します。あなたは人の5%の欠けを見て、「これじゃだめだな」と言う人ですか。それとも「95%もできたじゃない。すごいね」と励ます人でしょうか。神様に倣う者となりましょう。人は必ず同じ計りで計り返されます。

■2コリント2:10もしあなたがたが人を赦すなら、私もその人を赦します。私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。2:11これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。
★この手紙の著者パウロは、サタンの巧妙な罠を知っていました。赦すとは自分で正当な裁きをしたいとの思いを明け渡し、神様に裁きを委ねることも含まれます。さばきの思いを握りしめ続けると、いつの間にかサタンの罠に陥ります。手放し、解放されましょう。そして報復は主に委ねるのです。ヒデ

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