■詩篇106:1ハレルヤ。主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。106:2だれが主の大能のわざを語り、そのすべての誉れをふれ知らせることができよう。
★この章はいかにイスラエルがその歴史において罪深いものかが鮮やかに紹介され、合わせて神様がそんなイスラエルに、更なる憐れみ深さをもって接して下さるお方であるかが記されます。紅海を渡るときの不信仰。モーセがシナイ山に登ったとき、金の子牛を造ったそれ。肉がない。水がない。あげくの果てに彼らは約束の地において偶像礼拝者に。にもかかわらずそんな民を神様は救われました。ゆえにこの詩篇作者は「ハレルヤ。……」と、民の心を憐れみ深い神様へと導きました。主にハレルヤ!
■マタイ19:20この青年はイエスに言った。「そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」19:21イエスは彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」
★永遠の命を求めて近づいた金持ちの青年に主は上記の様に語られました。自分と神様との関係において、律法を余すところなく行おうとすることは尊いことです。しかし主はそれ以上に、この青年が関係の中に生きることを願われました。何を知っているか、神様のために何をしているか、よりも主の愛を知った者として、どんな人として、人と関わり生きようとしているか。主はそこに関心を持ち光を当てられました。聖書の中心が、神様を愛し、自分を愛するように隣人を愛することであることをもう一度覚えましょう。ヒデ
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