金曜日, 8月 05, 2011

20110805_詩篇57_マタイ8

■詩篇57:7神よ。私の心はゆるぎません。私の心はゆるぎません。私は歌い、ほめ歌を歌いましょう。57:8私のたましいよ。目をさませ。十弦の琴よ。立琴よ、目をさませ。私は暁を呼びさましたい。
★闇の世界に暁、しののめ、あけぼのを呼び覚ましたいとのこのダビデの決心はイスラエルに新しい価値観をもたらしたいとの思いが込められたものでした。しかも彼がこの詩を読んだ背景は、狙うサウル王を避けて洞穴に隠れていたとき、まさにサウルがそこに入って来たとき。いわば、神様がダビデにサウルの命を「さあどうにでも好きなようにしなさい」と預けた時でした。ダビデの従者は「今です」と語ります。しかしダビデは「神様が油注がれた者を犯してはならない。裁きは神様に委ねるべき」でした。その結果ダビデの時代、王国は統一され平和が訪れました。新しい時代の幕開けです。

■マタイ8:2すると、ツァラアトに冒された人がみもとに来て、ひれ伏して言った。「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます。」8:3イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐに彼のツァラアトはきよめられた。
★今日のディボーションテーマは「新しい時代の幕開け」でしょうか。山上の説教が終わったとき、一人の人物が切実かつ強い願いをもって主に近づきました。主は彼の願いを聞いて手を差し伸べられます。旧約の律法に従うなら、触れる側の者が汚れるから触れてはならないとされる「ツァラアト」でした。しかし主が手を伸べられた時癒されたのです。なぜでしょう。主の中には形式ではない、いのちが満ちあふれていたからです。それが新約の祭司とされた者の生き方です。与えられた永遠の命は守るためではなく仕えるため。その時、命はますますみなぎり30倍60倍100倍の実を結びます。ヒデ

0 件のコメント:

コメントを投稿