■詩篇17:1主よ。聞いてください、正しい訴えを。耳に留めてください、私の叫びを。耳に入れてください、欺きのくちびるからでない私の祈りを。17:2私のためのさばきが御前から出て、公正に御目が注がれますように。
★命を狙うサウル王が、自分が潜んでいる洞窟に入って来ても殺さなかったダビデの価値観を見て取れる詩篇です。「どんな暴君であろうと神様が油注がれている者の命にどうして触れることができようか。そして報復は自分のすることではなく。神様がなさること」。その結果が上の祈りとなりました。ここからあくまで神様に委ねるべきものは何かを学びましょう。合わせて心を神様の前に注ぎ出すことをも。
■マタイ6:33だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。6:34だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
★すべて添えて与えられる人生があります。その生き方とは日々、自分が負うべき仕事、果たすべき責任を神様に聞き、それを行動に移す生き方です。神様のお考えがどこにあるかを知るためには、日ごとに御言葉に耳を傾け、それを受け取る必要があるでしょう。また示される神様のお考えは多くの場合、自分の力だけではなし得ないもの。ゆえに「神様助けて下さい。力を与えてください。あわれんで下さい」との祈りが生まれます。その時主は、人にはなし得ないことを、あなたに成し遂げさせて下さって、ご自身の栄光を現わして下さると共に、驚くばかりの祝福をあなた注いで下さいます。その中にきっと全ての必要は恵みとして添えられているはずです。さあ恵みを刈り取る良き種まきをはじめましょう。ヒデ
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