日曜日, 8月 07, 2011

20110807_詩篇141_マタイ10

■詩篇141:1主よ。私はあなたを呼び求めます。私のところに急いでください。私があなたに呼ばわるとき、私の声を聞いてください。141:2私の祈りが、御前への香として、私が手を上げることが、夕べのささげ物として立ち上りますように。
★主の弟子パウロは愛弟子テモテに「『人がもし監督の職につきたいと思うなら、それはすばらしい仕事を求めることである。」ということばは真実です」と書き送り、主も弟子たちが右大臣左大臣の席をかつて競い合ったとき「だめだ」ではなく、偉くなりたいなら仕える人になりなさいと語られました。ダビデも王とならなかったならば上の御言葉ほどに心を注ぎ出す必要は無かったのかも知れません。世的名誉のために立場に憧れる人は多くいるかも知れません。しかしダビデの様に与えられた権威の意味を理解し、仕えるために心を注ぎ出すものでありたい者です。

■マタイ10:29二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。10:30また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。10:31だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。10:32ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。
★人の永遠を最終的に決定づける最後の審判。その基準が何かがここには明確です。キリストを認めるか、否か。主とはあなたの全てを知り、あなたに価値を抱かれるお方。そのために十字架の上で罪の代価として、ご自身の命を惜しげもなく注ぎ出されました。信じましょう。感謝しましょう。そして告白しましょう。その時あなたの名は天国のいのちの書に書き記されます。ヒデ

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