■ヨシュア17:14ヨセフ族はヨシュアに告げて言った。「主が今まで私を祝福されたので、私は数の多い民になりました。あなたはなぜ、私にただ一つのくじによる相続地、ただ一つの割り当て地しか分けてくださらなかったのですか。」
★「なぜ一つの割り当て地なのですか……」そう尋ねるヨセフ族に対する主の答えはこうでした。「もしもあなたが数の多い民であるなら、ペリジ人やレファイム人の地の森に上って行って、そこを自分で切り開くがよい。エフライムの山地は、あなたには狭すぎるのだから。」。「でも敵は戦車も持って強いのです。」「強い敵だからこそ。あなたは子孫のために彼らを追い払わなければならないのです」。何とヨセフ部族のリーダー達と主の考えは違うのでしょうか。上を仰ぐ事を忘れたら人の心はどんどん内向きかつ萎縮傾向に向かいます。しかし仰ぐ者を決して見放なすことなく共に戦って下さる主を、私たちは忘れてはなりません。
■ヘブル5:8キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、5:9完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、5:10神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。
★信じがたい言葉がここに。「キリストは…従順を学び」と。聖書は、イエス様ご自身が従順を学ばれたと記します。父なる神様と共に万物を創造され、願えば天の使の十二軍団以上をも動かすことのできるお方。そのお方が従順を学んだのです。あなたは遜ること、謙虚になること。それは愚か者、弱い者のすることと軽んじているところがありますか。しかし主は、従順は学ぶべき価値あるものと評します。仕えて始めて仕える人の気持ちが分かり、従って始めて従う人の気持ちが分かるのです。あなたはどれくらい従順を学ばれましたか。それとももう学ぶ必要がないほどに従順を通して学ばれましたか。聖書は「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。」と語ります。信じましょう。ヒデ
月曜日, 5月 31, 2010
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