■ヨシュア1:2「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。
★モーセの死後30日の喪に服し、泣ききった民に対して主が「モーセは死んだ」と語られました。いよいよ40年の流浪生活から約束の地をめざして具体的一歩を踏み出すために立ち上がる時が来たのです。その時、悲しむべきを悲しみ、痛むべきを痛み。辛い思いを共同体の中で共有することは、なくてはならない過程です。癒されきれていない感情を抱えたままで、人は前に向かうことが出来ません。あなたは主が語られる「モーセは死んだ」の言葉を受けて、立ち上がる用意がありますか。まだであれば勇気をもって心を開き、キリストにある共同体(教会)の中でその部分についても分かち合うことをはじめてみませんか。生ける神様をあなたは体験することでしょう。
■イザヤ7:14それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。
★それは「神我らと共にいます」と言う意味であると。まさにクリスマスの預言です。私たちの救い主キリストは「我らと共にいて下さる神様です」。
■1テサロニケ2:19私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのはだれでしょう。あなたがたではありませんか。
★この手紙のテーマとしてキリストの再臨を外す訳にはいきません。この書を通し初代教会の聖徒を生かし希望を与えていたものを知れるのです。「主は再び来られる。正しい裁きをなさるために」それが答えです。その時全ての人は峻厳なる主権者としての神たるキリストに出会いますが「あなたこそが我が誇り」とは何という光栄でしょう。さあ今週も授けて下さる冠をお返しすることを人生の目標に信頼と従順の一週を始めましょう。ヒデ
月曜日, 5月 17, 2010
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