木曜日, 5月 06, 2010

20100506_申命23_雅歌3_使徒16-17

■申命23:24 隣人のぶどう畑にはいったとき、あなたは思う存分、満ち足りるまでぶどうを食べてもよいが、あなたのかごに入れてはならない。 23:25 隣人の麦畑の中にはいったとき、あなたは穂を手で摘んでもよい。しかし、隣人の麦畑でかまを使ってはならない。
★主は何度も何度も約束の地の価値観は憐れみであることを教えます。主の民とされた私たちは、どんなときにも弱い立場にある人が、人として生きれるように助けるためにも召されたことを忘れてはなりません。また憐れみの中に生かされている人も貪欲に陥ることがないようにと警告します。それは「全ての人が自立に向けて」で、まさにこれこそが教会の価値観です。

■雅歌3:9 ソロモン王は、レバノンの木で自分のためにみこしを作った。
★知恵のソロモンと言われた偉大な王。しかしそんな王でも、ここでは失敗することが描かれています。自分を担ぐみこしを自分で造ったり、人に造らせたり。一体どうした事でしょう。そもそもキリストの者とされた私たちは神様を担ぎ出す必要もないのです。むしろそうではなく、このお方に担われ、このお方が責任を取って下さる生涯に招き入れられたのです。

■使徒16:25 真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。16:26 ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。
★獄舎の土台をも揺り動かし、主を信じる者に自由を与え、そればかりか囚人の心さえも神様への畏れで揺り動かす力あるものとは何でしょう。ここにはそれが明確です。「ささげられる祈りと讃美」。その時、三位一体の聖霊様が働かれ、人知を超えた御力をもって、ご自身のみわざをなしとげられるのです。さあ心いっぱい主を讃美しましょう。神様は神様を愛する者が自由の無い中に生きるとこを願っておられません。ヒデ

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