■ヨシュア16:10彼らはゲゼルに住むカナン人を追い払わなかったので、カナン人はエフライムの中に住んでいた。今日もそうである。カナン人は苦役に服する奴隷となった。
★この箇所はエジプトで宰相となったヨセフの子供マナセとエフライムの子孫の約束の地に於ける記述です。カナン人を余すところなく追い払なさいとの主の命に対し、彼らは「カナン人を追い払わなかったので」と記します。その自己肯定の為にエフライムは「まあいいか。彼らは私たちの奴隷となって、私たちは彼らをこき使えるのだから。損はないか……」とでも思ったのでしょう。妥協によって失うものと、妥協の産物として目の前で得るものと、どちらが益かはすぐには分かりません。しかし、どんなことがあってもあなたは誰かを自分の奴隷にしてはなりません。もしそうするならば、奴隷とした人の面倒をあなたは一生みることになるのです。子を妻を夫を友を奴隷としてはなりません。あなたの霊がどんな時にも奴隷の霊に縛られることがないように、全ての人に対して敬意を払う人として接するのです。今その価値観であなたを祝福します。
■ヘブル2:18主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。
★1章のみことばは「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。」と、キリストがまぎれもない神様ご自身であることを紹介します。にもかかわらず、なぜにこのお方は人となって私たちの世界に来て下さったのでしょう。ここには、その最大の理由とも言える内容が。それはあなたを理解し、あなたを助けるため。その人と同じ立場に立てない人にどうしてその人を理解することができるでしょう。キリストは高いところから物を語られるお方ではありません。さああなたの為に私は跪いた、この私を踏み台として、壁をこえなさい。そして天国に行くのです。さあ罪の赦しと永遠の命を受けるのですと語られます。あなたの後ろ楯は主です。ヒデ
日曜日, 5月 30, 2010
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