火曜日, 5月 11, 2010

20100511_申命28_雅歌8_使徒25-26

■申命28:1もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。28:2あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。……28:15もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行わないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる。
★上の言葉に続く祝福と呪いのメッセージに驚くばかりです。どの位の人が知っているでしょう。神様への従順と不従順がもたらすことになるその結果の違いを。すべての人にこの章を読んで欲しいと願うばかりです。そしてあなたは断固祝福を受け、生きる人にならねば成りません。

■雅歌8:5 自分の愛する者に寄りかかって、荒野から上って来るひとはだれでしょう。
★主に愛されたヨハネは最後の晩餐の席でさえ主の胸もと近く寄り添い、主の愛を受け取りました。主が注がれる愛を余すところ無く受け取る者。そのものが愛の器。慰めの器となるのです。いやそれ以外に方法はないのです。

■使徒26:19 こういうわけで、アグリッパ王よ、私は、この天からの啓示にそむかず、 26:20 ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤの全地方に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行ないをするようにと宣べ伝えて来たのです。
★「この天からの啓示にそむかず」ここにパウロのキリスト者としての原点が紹介されています。「私は天からの啓示にそむきたくない。むしろそれを喜び、そこに生きるものでありたい。」クリスチャンの原点もまさにここにあります。あなたは、あなた自身に向けられている神様の啓示を既に受け取りましたか。束縛ではない与えられた自由をもって、この天からの啓示の道を選び取る朝とさせて頂きましょう。あなたは主の喜び、誇り、慰めです。ヒデ

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