木曜日, 7月 01, 2010

20100701_1サムエル13_イザヤ56_黙示21-22

■1サムエル13:11サムエルは言った。「あなたは、なんということをしたのか。」サウルは答えた。「民が私から離れ去って行こうとし、また、あなたも定められた日にお見えにならず、ペリシテ人がミクマスに集まったのを見たからです。13:12今にもペリシテ人がギルガルの私のところに下って来ようとしているのに、私は、まだ主に嘆願していないと考え、思い切って全焼のいけにえをささげたのです。」
★全焼のいけにえをささげる日を決めたのはサムエル。けれども預言者サムエルの到着は1週間遅れ、しかも自分たちの2倍以上のペリシテの軍隊の圧迫によって兵士がサウルのもとを去ることを恐れて、預言者でもない王サウルは全焼のいけにえをささげてしまったのです。遅れたのはサムエルなのに。しかしここからリーダーにとってのなくてはならない気質が何かが浮かび上がります。それは人の目を恐れない。人気に支配されない。むしろその心を捕らえられる必要があるのは神への畏れと御心を神様の方法によって成し遂げる決断です。リーダーは試されざるを得ず、しかも誘惑も一杯です。ただ主に目を留めましょう。それ以外勝利の道はないのですから。

■イザヤ56:7わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。
★私たちの祈りを楽しみへと導くのはイエス様。祈りの言葉も願いもまずは脇において、イエス様を思いましょう。新しいことはそこからおこることを信じます。

■黙示録22:18私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。22:19また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。
★ここに外せない聖書の本質が。それは聖書は神様が人にお与え下さった契約書と言うこと。だから加えても削除もならないというのです。信じて文字どおり、永遠の祝福を受け取りましょう。ヒデ

0 件のコメント:

コメントを投稿