土曜日, 7月 03, 2010

20100703_1サム15_イザヤ59_マタイ3-4

■1サムエル15:22するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。
★恵みによってイスラエル最初の王となったサウル。しかし彼は神様から命じられたことよりも民を恐れて物事を曖昧に処理しようとする者でした。主は預言者サムエルを通しそんなサウルに「私は悔いる」と語られます。以下はそれ以降のやり取りです。「私は主の言葉を守りました。」「ではこれはなんですか」「それは私ではなく民のせいです」「いい加減止めなさい。言い訳は」「私は罪を犯しました。でも今は人々の前で、王としての私の面目を立てて下さい」。聖書は人を恐れると罠に陥ると明確に語ります。また罪を悔い改めようと言う者が「今は人の前での面目を立てさせて」とはゼスチャーでなくて何でしょう。最初は素晴らしいスタートを切ったサウル。にも関わらず彼は神の関心から人の関心に心を奪われ、結果全てを失うことになったのです。繁栄と栄誉のそばには常に罠が!しかしそれを主の助けによって退けてこそ、イスラエルを治める王足りうるのです。主の恵みの光の中で心の動機の点検を日毎に頂ける私たちは何と幸いなことでしょう。

■イザヤ59:1見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。59:2あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。
★上記御言葉は、罪とは神様の側に関することでなく、私に与えられた自由をいかに私が用いるかである事を教えます。委ねられている自由をもってキリストの十字架を仰ぎましょう。

■マタイ4:19イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」4:20彼らはすぐに網を捨てて従った。
★「ついて来なさい」と、主は召し出されるお方。そしてその中にある希望を受け取れるようにと備えられたのが今日一日。あなたの前を進んで下さる主がこの朝も見えますか。ヒデ

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