金曜日, 7月 16, 2010

20100716_1サムエル31_エレミヤ6_マタイ17

■1サムエル31:3攻撃はサウルに集中し、射手たちが彼をねらい撃ちにしたので、彼は射手たちのためにひどい傷を負った。31:4サウルは、道具持ちに言った。「おまえの剣を抜いて、それで私を刺し殺してくれ。あの割礼を受けていない者どもがやって来て、私を刺し殺し、私をなぶり者にするといけないから。」しかし、道具持ちは、非常に恐れて、とてもその気になれなかった。そこで、サウルは剣を取り、その上にうつぶせに倒れた。
★これがサウル王、生涯最後の記述であり残念です。なぜ主は「わたしはサウルを王としたことを悔いる。」と語られたのか。それは彼が心からの悔い改めをしなかったから。聖書には「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない」と記述が。悔い改めの機会が与えられていること自体、祝福でありチャンスであることを覚えたいものです。

■エレミヤ6:9万軍の主はこう仰せられる。「ぶどうの残りを摘むように、イスラエルの残りの者をすっかり摘み取れ。ぶどうを収穫する者のように、あなたの手をもう一度、その枝に伸ばせ。」
★ぶどうの収穫の時、農夫は良い実を取り残して無駄にしないように、同様に神様は「私を畏れる正しい人が捨てられてしまわないように。」と預言者に注意を促します。それは時代の暗さをいたまれると共に、その中にあっても神様は、神を畏れるあなたを覚え、支えて下さっていると言うことです。

■マタイ17:17イエスは答えて言われた。「ああ、不信仰な、曲がった今の世だ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。その子をわたしのところに連れて来なさい。」
★ここは、てんかんの癒しを求めて訪れた親子に、弟子たちが右往左往しつつ対応しても癒されなかった後、主が弟子たちに語られたことばです。「その子を私の所に」。ここに生じた問題の解決法が。そう、問題の解決は主の中に。祈りはその問題・課題を主のもとにもって行く手段。さあ今日も主の前に課題を持ち出し、委ねて一日を始めましょう。主はあなたを祝福して下さいます。ヒデ

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