日曜日, 7月 11, 2010

20100711_1サムエル24_エレミヤ1_マタイ12

■1サムエル24:19人が自分の敵を見つけたとき、無事にその敵を去らせるであろうか。あなたがきょう、私にしてくれた事の報いとして、主があなたに幸いを与えられるように。24:20あなたが必ず王になり、あなたの手によってイスラエル王国が確立することを、私は今、確かに知った。
★これは妬みのゆえにダビデを殺そうと謀るサウル王がダビデに直接語りかけた言葉です。その背景には三千人の精鋭をえり抜いてのダビデ討伐でサウルは用をたすため、たまたまほら穴に。しかしそこにはダビデと部下が息を潜めて身を隠していた場所だったとは。「今こそ、主があなたの手にサウル王を渡して下さった時です。さあ一突きにして殺して下さい。」そう迫る部下達でしたがダビデは「どうして主が油注がれた人に手を掛ける事ができようか」と、衣の裾だけを切り、サウロが洞穴から出たところで、皆の見ている前でその切った衣の裾を示しつつ殺意の無いことを示したのです。このダビデの姿から神様を畏れる生き様を教えられます。報復は私のすることではなく主の為されること。そしてこの姿勢が結局彼をイスラエルの王へと導いたのです。神様を信じ神様を畏れる者にはそれにふさわしい生き様のあることを覚えましょう。蒔いた種は必ず刈り取ることになるのです。

■エレミヤ1:7すると、主は私に仰せられた。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。1:8彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。
★無理もないように思います。二十歳ほどのエレミヤに預言者としての重荷が担わされたのですから。自らの乏しさを見てその職の不可能なことを彼は並べ立てようとします。が、しかし主は「まだ若いというな」と語られたのです。人は逃げようと思えば、あるいは使命を回避しようと思えばいくらでも出来るもの。けれども彼はここで主の言葉を信じて立ち上がったのです。「まだ若いというな」とはあなたにとってはどんな意味となるのでしょう。不可能を、乏しさを数えたらきりはありません。しかし主を信じて立ち上がるとき、あなたは主にあって事を成し遂げる人になるのです。その為にあなたは召し出されました。祝福はあなたの前に既に主がおいて下さっています。さあ主の約束を信じて立ち上がりましょう。ヒデ

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