■2サムエル1:14ダビデは言った。「主に油そそがれた方に、手を下して殺すのを恐れなかったとは、どうしたことか。」1:15ダビデは若者のひとりを呼んで言った。「近寄って、これを打て。」
★ペリシテ軍との戦いで深い傷を負い、自ら剣に覆い被さり命を絶ったサウル。しかしダビデの前に報告に出た青年は「ひどいけいれんが起こったのでサウル王が、この私に殺してくれと頼んだのでそうしました」と。この青年はダビデから誉れを受けれると思いそう語りました。が、ダビデは「主が油注がれた方の命にふれることを畏れなかったのか」と。「主が油注がれた者を畏れる」べき。それがダビデの一貫した姿勢であり、結果として神様の祝福を受けることになったスピリットでした。聖書は「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです」と。よって立てられた両親、夫、先生、上司の祝福を祈るとこは大切で、反発反抗でなく和解の道の模索が祝福です。
■エレミヤ7:5もし、ほんとうに、あなたがたが行いとわざとを改め、あなたがたの間で公義を行い、7:6在留異国人、みなしご、やもめをしいたげず、罪のない者の血をこの所で流さず、ほかの神々に従って自分の身にわざわいを招くようなことをしなければ、7:7わたしはこの所、わたしがあなたがたの先祖に与えたこの地に、とこしえからとこしえまで、あなたがたを住ませよう。
★神様を愛するとは公義とあわれみに生きること。これが昔も今も変わることのない祝福の選択です。
■マタイ18:21そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」18:22イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。
★「無限に」と言うことは「赦し」とは自分の力や頑張りで与えることのできるものではなく、聖霊様の力によって開かれるもの。そして今日も神様に向かって開かれたあなたのその心に、聖霊様は喜んで住まわれます。ハレルヤ。ヒデ
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