月曜日, 7月 12, 2010

20100712_1サムエル25_エレミヤ2_マタイ13

■1サムエル25:34私をとどめて、あなたに害を加えさせられなかったイスラエルの神、主は生きておられる。もし、あなたが急いで私に会いに来なかったなら、確かに、明け方までにナバルには小わっぱひとりも残らなかったであろう。」25:35ダビデはアビガイルの手から彼女が持って来た物を受け取り、彼女に言った。「安心して、あなたの家へ上って行きなさい。ご覧なさい。私はあなたの言うことを聞き、あなたの願いを受け入れた。」
★荒野にいるナバルの羊と僕たちを守ったダビデとその家来。しかしナバルはそんなダビデに「ダビデとは、いったい何者だ。このごろは、主人のところを脱走する奴隷が多くなっている。私のパンと私の水、それにこの肉を取って、どこから来たかもわからない者どもに、くれてやらなければならないのか。」と語ります。その報告を聞いたダビデは即座に「剣を付けよ」と、ナバルにかかわる者の全てを殺すために出で立ちます。しかし夫ナバルの愚かを聞いた妻アビガイルは、用意できるだけのパンと肉とぶどう酒を携えてダビデのもとに謝罪に向かいダビデに出会った時にこう語るのです。「主が、あなたについて約束されたすべての良いことを、ご主人さまに成し遂げ、あなたをイスラエルの君主に任じられたとき、むだに血を流したり、ご主人さま自身で復讐されたりしたことが、あなたのつまずきとなり、ご主人さまの心の妨げとなりませんように。ナバルは本当に愚か者です。どうぞこの私に免じておゆるし下さい」。
このアビガイルの言葉を受けて語ったのが冒頭のダビデの言葉で、彼女はダビデの怒りを収めたのです。配慮の無さと高慢、またその人の愛のわざを見抜けず人の心に油を注ぐナバルの様な者があるかと思えば、アビガイルの様に、怒りに燃える心に理解と慰め、あるいは感謝をもって臨み、その人の心の嵐が静まるように助ける執り成し手もいます。私たちは愚か者ナバルにならないように、感謝を忘れ恩を仇で返す者であってはなりません。また私たちには怒りに燃える心に理解と慰めをもって関わって下さり、私たちの心の嵐を沈めて下さる救い主であり友なる主イエス様が必要です。今週もこのお方と共に歩みましょう。ヒデ

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