■1サムエル18:7女たちは、笑いながら、くり返してこう歌った。「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」18:8サウルは、このことばを聞いて、非常に怒り、不満に思って言った。「ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ。」18:9その日以来、サウルはダビデを疑いの目で見るようになった。
★これは巨人ゴリアテをはじめ、王の命令によって送り出された戦に、ことごとく勝利を治めたダビデを迎えに出た、イスラエルのむすめ達の言葉を聞いたサウル王の反応です。ここには命のないリーダーと、真に命あるリーダーの対比が明確です。物事で何が一番大変かと言えば自分の後を次ぐ後継者を育てること。よって真のリーダーは自分を越える後継者が起こったなら、これほどの光栄と喜びはありません。しかし命のないリーダーにあっては同じ事が妬みとなるのです。あなたは人の成長を喜べる人ですか。それとも妬む人ですか。共に喜び続ける人であれるよう自分自身主の御手の中で成長させて頂くのです。
■マタイ7:24だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
★主によって語られた山上の説教を締め括る譬えがこの話です。岩の上に家を建てた賢い者と、砂の上に家を建てた愚かな者との対比はあまりにも有名で、その結果は誰もが知るところ。洪水が来ようが嵐が来ようが倒れなかったのは、もちろん岩の上に建てた方。しかし賢い者と愚かな者を分ける規準は?と言われるとそれは時に曖昧です。その違いは岩なるキリストを土台とするか、しなかったかということですか。いいえ違います。キリストの言葉を聞いてもそれを素通りにするかしないかです。すなわちキリストの言葉は、ただありがたい話として聞き流すものではないと言うことです。是非生きようとする決心をして下さい。そして新たな一歩を主と共に踏み出すのです。その時あなたの足と存在は御使いと主の御腕に支えられていることを発見するのです。「見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた」これがあなたへの主の約束です。ヒデ
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