土曜日, 4月 24, 2010

20100424_申命8-9_伝道3_ヨハネ20

■申命9:4あなたの神、主が、あなたの前から彼らを追い出されたとき、あなたは心の中で、「私が正しいから、主が私にこの地を得させてくださったのだ」と言ってはならない。これらの国々が悪いために、主はあなたの前から彼らを追い出そうとしておられるのだ。
★約束の地を前にしたモーセはくどいと思うほどに2回、3回このメッセージを繰り返します。「私が正しいから……」。くれぐれもそう思い込むことがないように、「主の恵みなんだ」と語るのです。立っていると思った瞬間に倒れてしまう私たちです。人はひと日の内にどれ程「全部私が……」と語る事でしょう。しかし我らは「私ではなく主が……」と、その栄光を主に帰す歩みをするのです。その報いは必ず主から来るのです。またうぬぼれは骨の腐りです。

■伝道3:14私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。
★神様とは文字通りこの通りのお方。そのお方がふたり3人が祈る祈りに耳を傾けて、私は聞くと仰って下さいます。どれほどに神様はご自身が贖い出した神の民を愛しているのでしょう。あなたもそのお一人です。

■ヨハネ20:25 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」と言った。
★仲間から復活の主に出会った報告を聞かされたトマス。「主は何でわざわざ私のいない時に御姿をあらわされたのか」その思いに捕らわれたトマスはもう素直な心を保つことができません。そして上の「……してみなければ決して信じない」との告白になったのです。失望感が人にもたらす影響の大きさを思います。そして人は時に勝手に失望し、勝手に自分を悲劇のヒロインにして、自己憐憫に陥り関係を絶ってしまうことがあるのです。トマスが本当のところ確認したかったのは何でしょう。主の愛です。トマスは「……してみなければ(主の愛を確かめてみなければ)決して信じない」と語ります。しかし主は「わたしは決してあなたを離れずあなたを捨てない」と語って下さるお方です。あなたは確かに主に愛されています。ヒデ

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