日曜日, 4月 11, 2010

20100411_民数29-30_箴言21_ヨハネ2-3

■民数30:5もし父がそれを聞いた日に彼女にそれを禁じるなら、彼女の誓願、または、物断ちはすべて無効としなければならない。彼女の父が彼女に禁じるのであるから、主は彼女を赦される。
★祝福と命の流がここに顕著に記されています。父や牧師や主イエス様は束縛の為ではなく解放と保護のために立てられています。父たちよ。この責任を放棄してはなりません。そして責任の大きさゆえに御前に跪き、託された愛する者たちを守るのです。子たちよ、父なし子になってはなりません。主イエス様はいつでもあなたの保護者です。

■箴言21:2人は自分の道はみな正しいと思う。しかし主は人の心の値うちをはかられる。
★どんな時にあなたは「全部私が・私は絶対」と言う言葉を使いますか。正しい使い方は私ではく主の愛と真実に用いる時です。生かされている憐れみに、主を仰ぎ感謝しましょう。

■ヨハネ2:7イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。2:8イエスは彼らに言われた。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。
★これはカナと呼ばれる地方の結婚式の一こまです。主の母マリヤが言いました。「来客を持てなすぶどう酒がなくなりました。」主イエス様が語られました。「かめに水をいっぱいに満たしなさい。」そしてしばらく後に「さあ今宴会の世話役のところに持って行きなさい」と。するとどうでしょう。水がぶどう酒に変えられたのです。同様に主は人を酔わせる愛が私の心からなくなったとき、心に愛を満たして下さるお方です。あなたはありのままの渇いた心をキリストのみ前に持ち出し、心満たして頂いた経験がおありですか。知って下さい。愛は自分の心の中で歯を食いしばって造り出すものではありません。注いで頂いた上からの愛でまず自らを潤し、その溢れる愛を他者と分かち合うべきものです。さあ遜りましょう。そして心を主の愛でいっぱいに満たして頂きましょう。ヒデ

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