■民数25:1イスラエルはシティムにとどまっていたが、民はモアブの娘たちと、みだらなことをし始めた。25:2娘たちは、自分たちの神々にいけにえをささげるのに、民を招いたので、民は食し、娘たちの神々を拝んだ。25:3こうしてイスラエルは、バアル・ペオルを慕うようになったので、主の怒りはイスラエルに対して燃え上がった。
★なぜ主の怒りはイスラエルに対して燃え上がったのでしょう。モアブの娘がイスラエルの男達の心を偶像によってコントロールしようとしているのに、それに気づかずうつつを抜かしていたからです。偶像礼拝の恐ろしさは本来のいのちの流れ、愛の流れがゆがめられようとするにも関わらず、人をそのことに関して鈍感にさせ、注がれるべき神様の祝福の枠の外へ人を押しやり、秩序の破壊とその人の生涯を混乱に至らせることです。騙されてはなりません。あなたが利用しようとするならむしろ利用され遂に不安の中に投げ込まれるのです。偶像は決してあなたの生涯に責任をとってはくれません。離れましょう。
■箴言17:18思慮に欠けている者はすぐ誓約をして、隣人の前で保証人となる。
★人の前で等身大の自分より、さも大きく見せたいとの誘惑に負けてはなりません。むしろ愛の視点からその人との最善の関わりのため祈り求めることは大切です。
■エペソ5:25夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。5:26キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、5:27ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。
★キリストが花嫁なる教会のために為したこと、それは花嫁なる教会を変えようとしたのではなく、自らを愛によって変えたこと。自分は動かず相手を変えようとすることは男のすべき事ではありません。男性方よ、心に主の愛を注いで頂きましょう。ヒデ
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