■民数32:4これら主がイスラエルの会衆のために打ち滅ぼされた地は、家畜に適した地です。そして、あなたのしもべどもは家畜を持っているのです。」32:5また彼らは言った。「もし、私たちの願いがかないますなら、どうかこの地をあなたのしもべどもに所有地として与えてください。私たちにヨルダンを渡らせないでください。」
★「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」とありますが、ここに記されたルベン族とガド族の言葉は非常に残念で、他のイスラエル10部族の心をもくじくものでした。神様がアブラハム語り、それ以来イスラエルが心に抱き続けてきた「乳と蜜の流れる約束の地」を前に、彼らは約束の地の手前のヨルダン川を前に、この地は「羊を飼うのに適しているので、私たちはこちらに留まりたい」と語ったのです。それは信仰による歩みと言うより、目に見える所に基づいた判断でした。確かに全ての人が強い信仰に生きることができる訳ではないでしょう。しかしあなたは折角信仰によって始めた歩みを、それ以外のもので完成しようとしてはなりません。しかも最後まで神様を信じ続けるなら、神様が責任を取って下さいますが、信仰による歩みを止めたなら、その責任は自分が取ることになるのです。
■箴言23:26わが子よ。あなたの心をわたしに向けよ。あなたの目は、わたしの道を見守れ。
★受肉前の「神の知恵たるキリスト」の言葉です。主はあなたに対して「わが子よ」と語られます。
■ヨハネ5:5そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。
★彼の長年の苦しみはいかばかりでしょう。主はそこに向かいました。あなたには長年の痛みと苦しみがありますか。今、主はあなたの前におられます。心を注ぎ出し主の慰めを受け取りましょう。ヒデ
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