土曜日, 4月 03, 2010

20100403_民数17-18_箴言13_ガラテヤ3-4

■民数17:5わたしが選ぶ人の杖は芽を出す。こうしてイスラエル人があなたがたに向かってつぶやく不平をわたし自身が静めよう。」17:6モーセがイスラエル人にこのように告げたので、彼らの族長たちはみな、父祖の家ごとに、族長ひとりに一本ずつの杖、十二本を彼に渡した。アロンの杖も彼らの杖の中にあった。17:8その翌日、モーセはあかしの天幕に入って行った。すると見よ、レビの家のためのアロンの杖が芽をふき、つぼみを出し、花をつけ、アーモンドの実を結んでいた。
★アロンの部族がイスラエル12部族から妬みをかったとき、主ご自身が弁護されました。あなたを弁護して下さるのも主です。このお方の前に歩みましょう。あなたの生涯に花を咲かせ、御霊の実を結ばせ1000代に渡る祝福を下さいます。あなたは新約の祭司アロンの職に召し出されたのです。

■箴言13:10高ぶりは、ただ争いを生じ、知恵は勧告を聞く者とともにある。

■ガラテヤ4:30しかし、聖書は何と言っていますか。「奴隷の女とその子どもを追い出せ。奴隷の女の子どもは決して自由の女の子どもとともに相続人になってはならない。」4:31こういうわけで、兄弟たちよ。私たちは奴隷の女の子どもではなく、自由の女の子どもです。
★奴隷の女の子、自由の女の子とは何でしょう。自分の行いの正しさを主張して生きようとする生き方と、神の救いと赦しを信じ、その恵みと哀れみにより頼もうとする生き方を表します。そして神様は自分の正しい行い主張して生きようとする生き方をやめなさいと語るのです。なぜでしょう。その人は人を裁くことには長けるでしょう。あたかもそれは自分の方が勝っているかのごとくで、時には優越さえ感じるでしょう。しかし結局それは自分を孤独に追いやり、人との関係を断ち切ることになり孤立させ、遂には自分自身が人を裁いた計りで計りかえされ、結局自分自身のことを誰よりも見えてないのは自分自身であることを思い知らされるからです。あわれみは裁きに打ち勝つことを知る人は幸いです。ヒデ

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