金曜日, 8月 23, 2013

20130823_ヨハネ10@22-42 1列王22

■ヨハネ10:38しかし、もし行っているなら、たといわたしの言うことが信じられなくても、わざを信用しなさい。それは、父がわたしにおられ、わたしが父にいることを、あなたがたが悟り、また知るためです。」
★主が語られたこのみことばのゆえに、結局何のための御言葉かが明らかにされました。御言葉を聞き恵まれるためだけでなく、御言葉に生きるためです。確かにあなたは自分に与えられた能力と努力で、生活のある一部分の領域においては、主の恵み抜きに御言葉のごとくに生きる事ができるかも知れません。しかし全領域においては不可能でしょう。主は全領域において御言葉のように生きられたのです。ゆえにわざを見て、私を信じなさいと語られます。ある一部分だけで人は惑わし、時に惑わされます。それが神様から来ている本物か偽物か、見抜く力を養いましょう。そして本物に従順するのです。

■1列王22:34ところが、ひとりの兵士が何げなく弓を放つと、イスラエルの王の胸当てと草摺の間を射抜いた。そこで、王は自分の戦車の御者に言った。「手綱を返して、私を敵陣から抜け出させてくれ。傷を負ってしまった。」
★なにげなくにもかかわらず胸を射抜くとは、まさに聖霊様のわざとしか言いようがありません。悔い改めのないアハブ王はこうして生涯を閉じましたが、キリストの贖いを受け入れたあなたの心を主が射抜かれる時、それは滅びのためためではなく、あなたのいのちを罪の縄目から解き放ち、あなたのいのちを永遠のいのちに輝かせるためです。主はあなたを愛し、あなたの心の動機を見守り、祝福に導こうとして下さっています。主に愛されているあなたのゆえにハレルヤ!ヒデ

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