■創世記27:38エサウは父に言った。「お父さん。祝福は一つしかないのですか。お父さん。私を、私をも祝福してください。」エサウは声をあげて泣いた。
★兄の祝福まで奪った押しのける者ヤコブ。決してヤコブが正しいわけではありません。結果、彼は今後21年間、生まれ故郷を離れ、苦しい生活を強いられます。しかしこの兄エソウはかつて「長子の特権」など何になろうと、飢えを満たすにまかせて、パンとレンズ豆の煮物で弟ヤコブにその特権を売り渡してしまうのです。神様がよしとされた「長子の特権」をいとも簡単に売り渡すなんて、注がれる霊の祝福の秩序の見えていない証拠です。学びましょう。あなたにも今でなけれ開かれていない祝福があるのです。取りもどせない祝福も、ただ信じて受け取る恵みの祝福も、神様の祝福の中にはあるのです。
あなたは神様が「……を祝福する。……の祝福をおまえに与える」と語られるのに、「どうせ私なんか……。まさか私なんかに……。」とあれこれ理由をつけて折角の祝福を拒絶しているところはないですか。神様はあなたが想像する以上に、あなたに対し気前よく素晴らしいことをして下さるお方です。信じ受け取るのです。そう神様が今くださろうとしている祝福は今受け取るのです。決して神様のくださる祝福を、かつてのエソウのように軽んじ拒んではなりません。恵みに対し素直な人が祝福を受けます。
■マタイ17:4 すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」
★主と共に山に登り、主の素晴らしいことを見たペテロは何と言ってその素晴らしさを表現してよいか分かりませんでした。しかし、素晴らしさはそれだけではありません。山のふもとに留まった他の弟子たちの所にも、てんかんで苦しむ少年を癒す機会が備えられたのです。大切なことは信仰によってその人をキリストのもとにお連れすること。あなたは他者の祝福のために遣わされた所で祝福をお祈りするためにも召し出されました。ヒデ
0 件のコメント:
コメントを投稿