日曜日, 4月 27, 2014

20140427_創世記26 マタイ3

■創世記26:22イサクはそこから移って、ほかの井戸を掘った。その井戸については争いがなかったので、その名をレホボテと呼んだ。そして彼は言った。「今や、【主】は私たちに広い所を与えて、私たちがこの地でふえるようにしてくださった。」
★イサクの柔和さがよくあらわされている箇所です。この直前彼は井戸を掘りますが、その土地の羊飼いたちに「この井戸は私たちのものだ」と訴えられ、そんなことを2度も強いられ、これが3度目だったのです。イサクは当然の権利を主張し戦うこともできたでしょうし、決して力がないわけではありません。イエス・キリストは山上の説教の中で「柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。」と語られました。あなたならどんな道を選択しますか。

■マタイ3:15ところが、イエスは答えて言われた。「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。」そこで、ヨハネは承知した。
★イエス・キリストがバプテスマのヨハネから洗礼を受ける箇所です。不思議ですね。創世記26章のイサクに共通する部分があります。それは柔和と謙遜です。ここに来て柔和と謙遜とは真に力と権威に満ちていてこそ生きれることを教えられます。ヨーロッパには「臆病な犬ほどよく吠える。浅い川ほど音を立てる」ということわざがあるそうです。今週も父から遣わされた確信の中に歩みましょう。いってらっしゃい。

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