金曜日, 4月 25, 2014

20140425_創世記24@33-67 マタイ1

■創世記24:43ご覧ください。私は泉のほとりに立っています。おとめが水を汲みに出て来たなら、私は、あなたの水がめから少し水を飲ませてください、と言います。24:44その人が私に、「どうぞお飲みください。私はあなたのらくだにも水を汲んであげましょう」と言ったなら、その人こそ、【主】が私の主人の息子のために定められた妻でありますように。』
★イサクの花嫁さがしを依頼された、アブラハムの最年長のしもべは何をイサクの花嫁にふさわしいこととしたのでしょうか。単なる愛ではなく溢れる愛でした。また最年長のしもべが「私が遅れないようにしてください。【主】が私の旅を成功させてくださったのですから。」と言った時、迷わず「はい。まいります」と答えます。この溢れると愛と決断力はまさに主を畏れるゆえの上から注がれる賜物でした。それがリベカを飾る最高の飾りです。

■マタイ1:20彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。1:21マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
★イエスとは「主は救い」という意味です。あなたはこのお方をその様に認め受け入れるとき、罪の赦しと永遠のいのちにあずかれます。そのためにマタイの福音書は書かれました。さあ始めましょう。ちなみにヨセフはこのお方に2000年前「イエス」と名付けました。

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