月曜日, 4月 14, 2014

20140414_創世記14 マルコ10@1-31

■創世記14:23糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、『アブラムを富ませたのは私だ』と言わないためだ。
★アブラムは神様がなして下さったわざが見えることを何よりの願いとしました。自分が栄光を受けようとする生き方と神様に栄光をおかえししようとする生き方の違いがここにあります。主は私を尊ぶ者を私も尊ぶと語られます。

■マルコ10:17イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄って、御前にひざまずいて、尋ねた。「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか。」
★いのちとは自分の努力や力で生みだせるものではありません。与えられるもの。ましてや肉体のいのちに勝る永遠のいのちを、どうして人の何かの行いで獲得することができるでしょう。ただ、受け取るだけです。いのちというあまりにも尊いものを授かったお互いに最も相応しい生き方は謙虚さと感謝の生涯ではありませんか。いってらっしゃい。

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