水曜日, 4月 02, 2014

20140402_創世記2 マルコ1@21-45

■創世記2:17しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」
★人の内にまだ罪が入らぬ時の唯一の戒めが「取って食べてはならない」とのこれです。すなわち神様の主権に手を延べてはならない。越権してはならない。なぜなら神様は全てのことをはなはだ良いものとして造られたのですから。これに触れることなく、神様のわざを受け取って行く時、そこには感謝と喜びが人の内に生じるはずでしたが、ここに人が手を延べる時、自らが神様を越えて主権者となり、自分中心の価値観で「なぜ、どうして」と人と物事を裁くようになるのです。それが罪の支払う報酬で、不安と怒りの生涯のはじまりです。

■マルコ1:40さて、ツァラアトに冒された人がイエスのみもとにお願いに来て、ひざまずいて言った。「お心一つで、私をきよくしていただけます。」
★もし人が自分の汚れを知り、それを悲しみ主に求めることができるなら、そこには「わたしの心だ。きよくなれ。」という癒やしがあるのに。しかし汚れを知ることなしには、飢え渇きさえ人は抱くことができません。せいぜい「私も他の人にくらべたら結構……なんじゃない」と言ったことが関の山です。その意味においても日ごとに神様の御言葉から光を頂くことを選び取ったあなたは何と幸いでしょう。主があなたを喜んでいらっしゃいます。今日も光の中を歩みましょう。いってらっしゃい。

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