■1列王22:34ところが、ひとりの兵士が何げなく弓を放つと、イスラエルの王の胸当てと草摺の間を射抜いた。そこで、王は自分の戦車の御者に言った。「手綱を返して、私を敵陣から抜け出させてくれ。傷を負ってしまった。」
★これは妻イゼベルによってイスラエルに偶像礼拝を持ち込み民を苦しめたアハブ王の最後です。彼は戦いに出るとき「私は変装して戦いに行こう。でも、あなたは、自分の王服を着ていてください。」とユダの王ヨシャパテに語りますが、敵国アラムの王の目は誤魔化せても、主の目は誤魔化せませんでした。国を滅ぼすほどの罪とは偶像礼拝を他にしてありません。しかし主は今やこの偶像礼拝の罪のためにもキリストを私たちの罪の身代わりに十字架に付け、救いの道を開いて下さっいました。いかに偶像礼拝から離れるか。まさにこれそこが人生の命題です。キリストを仰ぎましょう。
■1コリント9:22弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。
★パウロは、「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建て、人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです」と語ります。そして全世界の異邦人の救いの為に生涯をささげたパウロの実際は、まさに幾人かであり、目の前の一人でした。私の話に耳を傾けてくれる人が三千人いたら、いや百人、五十人いたらではありません。まさに目の前の一人のために自分の命を注ぎ出そうとしたのです。それが主ご自身の生き方であり、パウロはそれを自らの生き方としたのです。一人の為にとは、それをしたあなたが公にしなければ、ほとんど明らかになることはない愛のわざです。即ちパウロは人々の関心を自分に向けさせるためではなく、ただキリストに仕えたのです。あなたは与えられた今日一日をいかに生きますか。ヒデ
金曜日, 8月 27, 2010
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