■1列王15:4しかし、ダビデに免じて、彼の神、主は、エルサレムにおいて彼に一つのともしびを与え、彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを堅く立てられた。15:5それはダビデが主の目にかなうことを行い、ヘテ人ウリヤのことのほかは、一生の間、主が命じられたすべてのことにそむかなかったからである。
★レハベアム王のあと南ユダ王国を治める事となったアビヤム。しかし聖書は彼の事を「彼は父がかつて犯したすべての罪を行い、彼の心は父ダビデの心のようには、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。」と記録します。にも関わらず受けるに相応しくない憐れみを彼は受けたのです。まさにそれが「ダビデに免じて」との恩寵でした。そして私たちは「キリストに免じて」の恩寵の中に迎え入れられたのです。主はあなたの犯した罪の量りに従って、酬い返すことを決してなさらな事実を受け止め感謝しましょう。
■マルコ15:34そして、三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
★マルコによる福音書のゴールデンテキストとも言うべき言葉がこの御言葉で、ここにはキリストの贖いの根拠が明確です。キリストは確かにここで父なる神様に捨てられました。今まで「父」と呼んでいたお方を「父」と呼び得ず「神」と呼ばざるを得なかったのです。捨てられる根拠のないお方が捨てられたのは、まさに自らの犯した罪のために捨てられて当然の私たちが捨てられなくても済むようになるためでした。キリストは神様の前に「神様、罪のない私がこうして血を流しつつ彼らのために血を流していますから、この私の血に免じて彼らを赦して下さい」と、取りなして下さったのです。聖書には「血をながすことなしには罪の赦しはあり得ない」とありますが、キリストは御自身の命を懸けてこの律法を全うされたのです。信じましょう。そして生きるのです。ヒデ
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