金曜日, 8月 06, 2010

20100806_2サムエル24_エレミヤ27_マルコ1

■2サムエル24:10ダビデは、民を数えて後、良心のとがめを感じた。そこで、ダビデは主に言った。「私は、このようなことをして、大きな罪を犯しました。主よ。今、あなたのしもべの咎を見のがしてください。私はほんとうに愚かなことをしました。」
★側近である将軍ヨアブは「王よ。一体何の為に」とこれを留めさせようとしますが、ダビデ王はこの時それを説き伏せてまで「さあ、イスラエルの全部族の間を行き巡り、その民を登録し、私に、民の数を知らせなさい。」と命じます。さすがのダビデも年老い、自分の影響力に不安を感じはじめた事がこうした形で現れたのか。罪はまさに人間の弱さを足がかりに、人の人生を滅びに向かわせようとするのです。かつての力が誇れない所からくる妬み、寂しさ、不安には注意が必要です。

■エレミヤ27:17彼らに聞くな。バビロンの王に仕えて生きよ。どうして、この町が廃墟となってよかろうか。27:18もし彼らが預言者であり、もし彼らに主のことばがあるのなら、彼らは、主の宮や、ユダの王の家や、エルサレムに残されている器がバビロンに持って行かれないよう、万軍の主にとりなしの祈りをするはずだ。
★預言者と偽預言者を見分ける事は困難です。その違いは罪を曖昧に誤魔化すことをゆるすか、悔い改めて離れるよう、涙の内に訴えるかのどちらかです。耳ざわりのよい言葉だけが神の言葉ではないことを覚えましょう。

■マルコ1:15「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」
★主の弟子マルコの記述によるイエス・キリストの第一声がここに。私たちが神様から祝福を受ける手段は単純です。神様から離れようとする方向から、神様に向かう方向へと心の向きを変え、神様の恵みを信じ、ただ受け取るのです。あなたの人生の祝福のための全ては、既に主によって備えられました。さあ主を仰ぎ、今日も感謝して一日遣わされましょう。ヒデ

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