水曜日, 4月 13, 2016

20160413_エズラ9 使徒13@26-52

■エズラ9:15 イスラエルの神、【主】。あなたは正しい方です。まことに、今日あるように、私たちは、のがれた者として残されています。ご覧ください。私たちは罪過の中であなたの御前におります。このような状態で、だれもあなたの御前に立つことはできないのに。」
9:15民がその行いに値するさばきを受けるとしたら、神様の前に出ることすらできないことを、エズラは知っています。暴力を受けたり不正に扱われたりしたとき、私たちは正義のさばきを求めますが、自分の犯した罪や受けるべきさばきについては忘れやすいものです。神様がさばきではなく、恵みとあわれみをくだざるお方であるとは、何と幸いなことでしょう。神様に公正なさばきを求めるときには、私たちが受けるべきざばきを実際に受けたらどうなるかを考えてみることは助けになります。ざばきではなく、あわれみを求める者、それがエズラの生き方でした。

■使徒の働き13:49 こうして、主のみことばは、この地方全体に広まった。13:50ところが、ユダヤ人たちは、神を敬う貴婦人たちや町の有力者たちを扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、ふたりをその地方から追い出した。
★福音が語られたときの一つのあらわれがここに。多くの人々は喜びをもって主を受け入れますが、同時にユダヤ人指導者たちは真理を受け入れず、反対者を扇動して、パウロとバルナバを町から追い出します。邪魔になる真理に直面するとき、しばしば人は顔をそむけ、耳を傾けることを拒絶します。聖霊が、私たちの人生に変化が必要であることを指摘するときは、その細き声に注意深く耳を傾けなければなりません。そうしなければ、自分に影響を及ぼざなくなるほど遠くに真理を押しやってしまう可能性さえあるのですから。「この聖書は私を罪から守る。そうでなければ罪がこの聖書から私を隔てる」とはある神の僕が語った言葉です。

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