土曜日, 4月 02, 2016

20160402_哀歌3 使徒6

哀歌3:33 主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。3:34地上のすべての捕らわれ人を足の下に踏みにじり、3:35 人の権利を、いと高き方の前で曲げ、3:36 人がそのさばきをゆがめることを、主は見ておられないだろうか。
あなをはずかしめ陥れようとする者の不義を主はすべてご存じです。だからこそ主は「3:26 【主】の救いを黙って待つのは良い。3:27 人が、若い時に、くびきを負うのは良い。3:28 それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。3:29 口をちりにつけよ。もしや希望があるかもしれない。3:30 自分を打つ者に頬を与え、十分そしりを受けよ。3:31 主は、いつまでも見放してはおられない。」と語られます。

使徒の働き6:4 そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」
ときに上の御言葉が持てはやされるときがありますが、日々の配給と言った慈善の奉仕もなくてはならない教会にとっての大切な働きです。教会が希望でありますように。ひとりひとりの賜物が生かされて用いられますように。

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