木曜日, 6月 16, 2016

20160616_ゼカリヤ2-3 ローマ7

■ゼカリヤ3:7 「万軍の【主】はこう仰せられる。もし、あなたがわたしの道に歩み、わたしの戒めを守るなら、あなたはまた、わたしの宮を治め、わたしの庭を守るようになる。わたしは、あなたをこれらの立っている者たちの間で、宮に出入りする者とする。
捕囚時代、祭司職はありませんでした。帰還に伴い、再任命が必要だったのです。この幻で、ヨシュアは大祭司として任じられます。大祭司の務めの1つは、賦罪の日に民のすべての罪の償いとしていけにえをささげることです。祭司は神様と国との仲介者です。そのため、来るべきメシヤ(イザヤ11:1 エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。)を表していたのです。メシヤなるイエス様は大祭司として、たった一度だけ、私たちの罪を取り除くためにご自分をいけにえとしてささげられます。この新しい方法によって、すべてのクリスチャンは祭司として、きよい人生を神様ににさざげれるようになりました。(1ペテロ2:9、黙示5:10)

ローマ7:18 私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。 7:19 私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。7:22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
キリストに出会うまでのパウロの霊的葛藤です。しかしキリストにあってここからパウロは解放されました。

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